コレラとの戦いから、コロナとの戦い方を学ぶ

Shimpei_Gotō.jpg 人類の歴史は感染症の歴史だった。ジャレド・ダイアモンドが『銃・病原菌・鉄』で描いたように、人間を最も殺したのは自然災害でも戦争でもなく、病原菌だった。

 猛威を振るった感染症は、1億人以上を殺した14世紀のペストや数千万人を殺した1918年の新型インフルエンザが代表的だが、ここでは過去のコレラとの戦いに絞って振り返っておきたい。出典は、日清戦争の大検疫事業を率いた男の伝記『後藤新平-日本の羅針盤となった男』(山岡淳一郎)だ。
※写真は後藤新平。Wikipediaより引用

●1877:西南戦争後の防疫
 近代日本において、コレラ防疫を本格的に行った記録が、1877年の西南戦争だったようだ。旧来の藩兵に代えて新明治政府は徴兵制を導入し、約6万人を西郷隆盛率いる薩摩軍の鎮圧へと九州に送り込んだ。
 戦局が進むにつれ傷病兵が出ると、巨大なバラック病棟を備えた大阪の臨時病院に送還した。患者数は最多時で8,000人を超えたという。この送還に伴って、九州に巣食っていたコレラが神戸港から本州に運び込まれることとなった。このコレラは、長崎に寄港したマカオ経由の英国船を不平等条約の壁に阻まれて船舶検査できず、持ち込まれたようだ。この経験は、江戸時代に諸外国と結んだ不平等条約の改正を明治政府が急いだ一つの大きな動機となったという。
 神戸港から持ち込まれたコレラが京都などで流行したため、新政府軍は神戸に「仮営施設」、京都に「避病院」を設け、検疫を開始した。しかし、1877年にはコレラで約8,000人が亡くなり、1879年には105,000人に達したという。

●1895:日清戦争後の防疫
 1884年にコッホがコレラの原因となる菌を突き止めるなど、その後、コレラの防疫法や治療法は格段に向上していた。
 1894年に開戦となった日清戦争も日本軍の勝利が相次ぎ、次第に勝戦後の兵士の凱旋帰国に伴う防疫を考える段階に入っていた。ここで問題となったのが、大陸ではコレラの他に赤痢や腸チフスなどの伝染病も巣食っていたうえ、西南戦争の4倍ともなる23万人もの兵士の防疫に当たらねばならないことだった。
 この「大検疫事業」にあたり、日本国政府は現在価値にして1兆円以上の費用を投じ、瀬戸内海のいくつかの島を水際作戦の「出島」とした。1,117名もの検疫兵を集め、うち優秀な69人には徹底的な教育訓練を施して士官とし、検疫の手順と質を担保させた。また、危険な業務に従事する検疫兵の待遇は、検疫を「もうひとつの戦争」とみなして戦地並みとしたようだ。
 輸送船が大陸から帰ってくると、沖留めさせて検査官が乗り込み、所持品を消毒するものと焼却処分するものとに分けて目録を作り、焼却物については金銭補償した。健康な船員は島の検疫所に送り、沐浴消毒をさせた。所持品の蒸気消毒が終われば返還して帰宅させるが、患者や死者がいた船の場合は、5日間宿舎に入れた。死者はその場で火葬された。
 6月1日に検疫を開始してから、8月半ばまでに一日数千人もの帰還兵を検疫し、ようやく23万人の検疫を終えた。世界史上、これほどの大軍の検疫を行った実績は類例がなく、報告を聞いたドイツ皇帝は謁見した日本人に本事業への感嘆をもらしたという。
 しかし、それでも完全には防ぎきれなかったようで、1895年には全国で55,144人ものコレラ患者が出て、うち40,154人が亡くなったという。とはいえ、もしも検疫をしていなければ、感染者は途方もない数に上っただろうと言われている。
 なお、この頃までには不平等条約も改正されており、入港する外国船の検疫を日本側で徹底的に行えるようになっていて、日清戦争以外の要因による大流行はだいぶ抑えることができていたようだ。

●日露戦争から太平洋戦争までの防疫
 日清戦争後の大検疫事業の成功をもとに、日露戦争では日清戦争の数倍の帰還兵に対して検疫が行われた。
 さらに時代が下って太平洋戦争での敗戦後は、敗残兵だけでなく、失った植民地や占領地に入植していた住民も引き揚げたため、500万人以上もの大量の引揚者を迎え入れることとなった。
 この時もまた、防疫の最大の眼目はコレラだったようだ。とりわけ、全国に何カ所もあった引揚援護局のうち、ここ横須賀市にあった浦賀引揚援護局には「コレラ防疫本部」が置かれ、数多くの汚染船を受け入れた記録が残っている。

●コレラとの戦いから学ぶ、コロナとの戦い方について
 私は疫学的知見を持たないため、コレラとコロナの対策の違いなどはわからない。
 しかし、それでもなお、過去の経験から学べるものはあるように思われるため、本市の市政や国政に活かすべく、以下に列記したい。

1.医師・看護師・保健師の待遇を上げよ
 当時の「検疫兵」に相当するのが、現代の医師・看護師・保健師だろう。感染リスクのある現場業務に当たる方々には、十分すぎる待遇を以って報いなければならないはずだ。
 医療関係者や家族を差別する馬鹿げた連中もいるやに聞く。とんでもない話だ。使命感から通常以上の緊張感と長時間労働に携わる中、心身ともにボロボロになって戦線離脱する医療関係者もいらっしゃると聞く。人間だもの、やむを得ないだろう。
 だからせめて、激務の中でも様々な家事などを外部化できるようにしたり、コロナ禍後のリフレッシュを楽しみにして頂いたりするために、十分すぎる臨時的待遇増で応えたいものだ。

2.メディアは流言を流さず、ファクトチェックでデマのパンデミックを防げ
 日清戦争後に各地でコレラが流行ったとき、消毒液を撒いていた医者が「奴はコレラをバラまいている!」との流言のために撲殺されたそうだ。
 不安に煽られた民が暴力に手を染めるのは、いつの時代も起こることだ。時代が下って関東大震災でも、多数の朝鮮人が虐殺された。今回のコロナ禍でも言葉の暴力が後を絶たない。
 第4の権力とも言われるメディアは、社会の公器だ。視聴率を稼ぐためなのか扇情的な報道も見られるが、事実確認(ファクトチェック)こそがメディアの重要な役割であるはずだ。このような非常事態だからこそ、メディアには本来の役割に立ち返ってほしい。

3.金銭補償をせよ
 お金を惜しんで感染しては元も子もない。コレラ時に所持品を金銭であがなって捨てさせたように、物品を惜しんではいけない。
 コロナ禍に具体的に読み替えるならば、マスク等は配給制にすべきだろう。台湾や韓国にできることが、日本でできないわけがない。マイナンバーなら全国民に背番号がふられているのだ。医療機関や福祉施設では、マスク・防護服の使いまわしをしている状態と聞く。あり得ない。知り合いの看護師は、自前でマスクを調達させられているという。値上がりしているうえ、夜勤など忙しい中で薬局に並ぶわけにもいかない。これで、どうやって高いモチベーションを保って仕事すればいいのか。配給を統制すべきだ。
 極論すれば、大衆に使い捨てマスクなど要らない。我々は手作りでどうにかすればよい。その分、感染者と医療機関・保育園・学童クラブ・障害者施設・高齢者施設等に優先的に配給すべきだ。
 また、営業自粛を求めた店舗には、営業しないことを条件とした休業補償をすべきだ。売上補償ではなく、みなし営業利益分だけでいい。
 加えて、賃貸物件の固定資産税を時限的に値上げすべきではないか。ただし、休業期間に店子に対して家賃免除をした場合には固定資産税の値上げを免除することとすれば、大家も皆こぞって家賃を免除するだろう。この制度設計なら誰も損しない。

4.不平等条約は解消せよ
 現代も、なお不平等条約は残っている。「日米地位協定」だ。
 日本国内でありながら、全国に点在する米軍基地は治外法権が認められている。横須賀市に寄港する米艦船は、日本の検疫を受ける必要がない。海からも空からも横須賀基地にやってくるが、横須賀市保健所は検疫どころか状況報告すら求めることができない。
 これでは、防疫などできない。実際に、米軍横須賀基地内でも感染者は相次ぎ、ついにその人数も報道されなくなった。いったいどれだけ感染が広がっているかわからない。そして、米軍関係者は基地内に8,657名、基地外に4,221名程度在住していると思われる(2011年時点の情報で以後発表されなくなっている)。基地外の軍人軍属も部隊運用上必須の任務(Mission Essential)の者は出勤しているようだ。これら軍人軍属は、日本人基地従業員との接触もあるだろうし、実際に基地従業員の感染例も複数報告されている。もっとも、感染経路が軍人軍属経由かはわからない。が、検疫できないのだから、不安は募る。
 もちろん、「感染者が多すぎて空母の運用ができない状況」などという軍事上の機密が出回るのは避けたいだろうから報道まではできないのは理解できる。しかし、せめて横須賀市保健所が機密を守ったうえで検疫をする権限は与えられねばならないはずだ。

 明治の元勲たちが、胃の痛む思いで必死に諸外国と交渉して撤廃した治外法権。敗戦の結果、受け入れざるを得なかったとはいえ、既に70年以上が経っても指一本触れられないままだ。これで、愛国心は疼かないか? これで国民の命を守れるのか?


 以上、実際に私が本市に提言できるとすれば最前線の方々への処遇改善ぐらいだが、国政のためにもコレラからの学びを記しておく。

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