2019年01月15日

木下憲司議員の訃報に際して

p-kinoshita-kenji.jpg 横須賀市議会議長の木下憲司さんが、1/11に亡くなった。
 私よりも一期先輩であり、かねて立派な議員だと思っていた方だ。ちなみに、前回2015年の選挙中には、「みなさん、ちゃんと選挙に行ってください。別に、私に投票しなくたっていい。でも、ちゃんと吟味して選んで投票だけはしてください」と演説しているときに、木下候補が通りかかったので「みなさん、ちょうどそこを歩いている木下議員のような立派な議員とそうでない議員がいます。しっかり見極めて頂いて、主権者としての一票はムダにしないでください!」と演説したのを聞いた方もいるだろう。つまり、亡くなった議員へのはなむけにお世辞を言っているのではないという意味で書いた。

 故人の業績は数々ある。しかし、私の視点から、特筆すべきことを3点挙げたい。

(1)中学校給食導入の最大の立役者
 意外と知られていないことだが、本市が「中学校給食を導入する」と決定をするにあたって、最大の功労者は木下議員だ。ちなみに、公明党や共産党は自分の手柄のように言うかもしれないし、別に手柄がなかったわけではないのだが、議会の中で公平に見ていて最も効果的な仕事をしたのは、私でも誰でもなく、木下議員その人だ。
 そのことは、私の5年前のBlog記事とチラシ14号にも記してある。
 →「中学校給食へ、また一歩前進! 市民の声が市を動かす。」
 →チラシ14号「ヨコスカ給食白書(5)」

 今日は、当時は書かなかった舞台裏まで言おう。
 市民から中学校給食を求める請願が出され、故・山城保男議員と共産党と私の署名によって議会で審議されることになった。結果から言えば、不採択となった。しかし、不採択になることを見越した私は事前に、同期の大野忠之議員に「何とか自民党の力で中学校給食に道筋をつけることはできないだろうか」と泣きついて頼んだ。すると、彼は「会派の中で考えてみるよ」と言ってくれて、この請願が付託された教育福祉常任委員会の委員だった木下議員と打ち合わせてくれたようだった。
 請願審査の当日、木下議員が用意していたメモを読みながら、付帯意見案を提案してくれた。その内容が、「中学校給食について積極的に検討すること」というものだった。すぐに実施は求めないまでも検討を求めるという内容で、それまで私が何度となく「せめて検討だけでもしてくれ」と前市長と元教育長に提案しても拒絶されてきたことを思えば大きな一歩となるだけでなく、多くの議員が同意できる内容であり、木下議員らの深謀遠慮が込められた一案だった。
 この木下議員が提案した付帯意見が2013年6月21日の本会議で可決。それまで、一度も中学校給食についての態度表明をしたことがなかった市議会が、市役所に検討を命じた一瞬だった。

 それ以降、中学校給食に否定的だった市役所が動きだし、2021年には導入する運びとなったことはご存じのとおりだ。最大の妨害者だった前市長を市民と議会の声で押し切って、市民が望む事業に道筋をつけたのは横須賀市政の歴史に残る偉業だと思う。その立役者は、誰あろう木下議員だ。

(2)公平公正な名議長だった
 木下議長の議事進行は、いつも的確であり、誰に対しても公正だった。会派の仲間や親しさなどで差をつけることはなかった。共産党のねぎし議員のような、本会議での発言ルールを逸脱しがちな議員に対しても、決して侮ることなく、バカにした態度をとらなかった。そして議員だけでなく、現市長に対しても必要とあらば苦言を呈していた。
 私が見ていて、「このやり方は、議会の例規に照らして問題があるんじゃないか」と感じたときは、いつもすかさず議長がちゃんと注意していた。議論が錯綜した時には、「今の質問は誰宛か?」「質問の趣旨はこういうことですね?では市長答弁を」と整理するのが絶妙だった。安心して議事内容に専念できた。

 具体的な内容は控えるが、あるとき問題のある発言に議長がすぐ対応したことがあり、後から議長の補佐として脇に座る事務局長に「あれって、議長が自分で気付いたの?事務局長がメモをまわしてあげたの?」と聞いたら「あれは、議長がご自分でお気付きになって対応されていました」と言われて、改めて感心したことがある。

 世の中には、名誉職として議長になりたがる人もいる。実力が伴っていなくても、大会派の威を借りて議長になる人もいる。木下議長は、篤実かつ練達の名議長だった。

(3)なんといっても100条委員長
 木下議長を名議長たらしめたのは、それまでの職歴もあるだろうが、100条委員会での経験も大きかったのではないか。
 角井議員が「各会派、議員の意見をよく聞きながら、議会全体としてまとめ上げていった調整力は見事でした」「木下議員でなくては、成し得なかった」とBlogに書かれている。私もその通りだと思う。
 →もとい☆ブログ「木下議長が急逝される」

 100条委員会の運営に際しては、自民党の議員がつかんだ前市長の疑惑から委員会が開かれた経緯も考えれば、同じ会派の議員に引きずられる委員会運営になってもおかしくなかった。しかし、木下委員長はそうではなかった。検証できた事実と推測を丁寧に腑分けし、裁判になぞらえれば推定無罪の原則をきちんと守っていた。元公務員という経歴もあり、手続きをおろそかにすることもなかった。終了後の報告書も声の大きな人のトーンだけではなく少数意見にも留意したものとなった。
 前市長は、木下委員長に感謝したほうがいいのではないか。あらぬ濡れ衣を着せられず、本当に反省すべき点だけを突きつけられるだけで済んだのは木下委員長のおかげかもしれない。

むすびに
 他にも、市議会議長会が議員年金制度の「復活」を目論んでいるが、木下議長は「横須賀市議会は同意しない」旨を伝えてきたことなど、横須賀市議会の長としてしっかり仕事して頂いたことは数限りない。前議長と比べると、議会改革の面でリーダーシップをとって推進していくことまでは手が回らなかった印象もあるが、対外的な公務が多く大変な時期だったことを考えれば無理もないだろう。

 横須賀市民を代表する議長として、高い見識をもって立派に働いて頂いた泉下の木下憲司さんに改めて感謝の言葉を贈りたい。ありがとうございました。
posted by 小林のぶゆき at 00:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: