2017年08月16日

【会派視察報告:前編】ティボディエ邸は再建すべきか?〜日本製鋼所室蘭〜

北海道文化資源データベースより引用.jpg写真:瑞泉閣の外観(北海道文化資源データベースより引用)
 7/11〜13の3日間の日程で、会派視察に行ってきた。
 ところで、なぜ、会派視察をするのか?

 我々、会派研政は、毎年「政策提言」(旧・予算要望)を作成し、市役所に提言をしている。これを作り上げるにあたっては、PDCAサイクルをまわしている。思いつきで作って、出したらハイ終わり、ではない。視察は、これに必要なのだ。
1)各議員で市民の声を聴く
   ↓
2)市民要望に応える政策を立案する
   ↓
3)先進事例・他市事例や研修会聴講などで下調べする
   ↓
4)会派内で議論して政策を練り上げる
   ↓
5)「政策提言」案を作成する
   ↓
6)「市民と議員のよこすか未来会議」で案への意見を聴く
   ↓
7)会派内で議論して修正する
   ↓
8)「政策提言」完成版を市に提出する
   ↓
9)「政策提言」の実現に向け、議会質問で引き出す
   ↓
10)年度が終わって、政策の実現状況を評価する
   ↓
11)「市民と議員のよこすか未来会議」で進捗を報告する
   ↓
12)最初に戻る

 ざっと、このような過程で仕事している。この3)の一環として会派視察を行っている。


 さて今回は、室蘭の瑞泉閣(日本製鋼所内)、苫小牧の学童クラブ、小樽の観光について視察に訪れた。
 まず、初日7/11の瑞泉閣について。

 室蘭といえば、横須賀と同じく「基地」が先にでき、そこにまちが栄えた所だ。かつて世界の4大民間兵器工場と言われた日本製鋼所である。
 正確に言えば、いずれも出自は「基地」ではなく、工場である。横須賀も「横須賀製鉄所」として拓かれた。しかし、いずれにしても軍需・国策の色彩は濃い。
 そんな日本製鋼所であるから、大正天皇が皇太子時代にいらっしゃったことがある。その際、1911年に日本製鋼所が建てた建物が瑞泉閣だ。
 横須賀市と同じような背景を持つまちの歴史的建造物の保存・活用の一例。そんな意図で瑞泉閣を視察した。とりわけ主眼に置いていたのは、ティボディエ邸の再建のあり方の参考とすることだ。ティボディエ邸については、横須賀市の最高意思決定機関である議会が、再建することを決定している(2012年12月の請願採択、加えて2014年12月の特別委員会最終報告)。

 結論から言えば、ティボディエ邸と瑞泉閣は全く違った。「じゃあ、参考にならなかったのか?」といえば、見て会派内で議論する中で多いに参考になった。

視察による気づき
 瑞泉閣の視察によって得られた視点は次の通りだ。
●「当時のまま」の価値の差
 瑞泉閣は、約100年前の建設当時からの本物が現存している。ゆえに価値が高い。一方、ティボディエ邸は米軍による改変に次ぐ改変が加えられ、当時のままの部材は柱ほか一部しか残っていない。なおかつ、元々建っていた場所が米軍に今なお「占領」されているため、他のどこに建てようが意義も納得感も薄い。
●財源的な裏付けの差
 瑞泉閣には「パトロン」がいる。日本製鋼所が、一般公開もほとんどせずに、海外からの来客などをもてなす場所として今なお活用している。そのため、落書きやいたずらなどもほぼなく、逐次修繕が行われ、保存状態もいい。所有者が一貫して代わらなかったことが幸いした。一方、ティボディエ邸の「パトロン」になり得るのは横須賀市だけだろう。しかも、保存状態も悪く、すでに価値は毀損してしまっている。そのため、観光集客などの付加価値の高い活用は見込めない。持ち出しばかりの多い「パトロン」となるだろう。
●付随する物語性の差
 瑞泉閣よりも、ティボディエ邸のほうが、建物としての純粋な価値はおそらく高かったであろう。しかし、その価値は改変により既に失われた。加えて言うならば、物語性(ストーリー・リッチ度)で見たときの価値も劣る。瑞泉閣には、後の大正天皇が滞在され、昭和天皇も訪問。明治の元勲クラスや数々の海軍高級将官らも足を運んでおり、その遺品も残っている。一方、ティボディエ邸に住んでいたのは、横須賀製鉄所の長官だったヴェルニーではなく、副官のティボディエである。歴史に足跡を残した高官らも足を運んだのかもしれないが、その足跡は知られていない。唯一、富岡製糸場と建築様式が共通するという物語はある。ただし、富岡製糸場のモデルとなったオリジナルである製綱所も横須賀製鉄所にあったとはいえ、ティボディエ邸のほうが富岡製糸場より若干古いとはいえ、富岡製糸場が現存している以上、ティボディエ邸を忠実に復元したところで優位性はない。

本市に活かせる洞察
 上記を踏まえた、横須賀市に還元可能な洞察は次の通りだ。
●ティボディエ邸は部分復元すべき
 そうは言っても、過去の経緯と議会の意向(市民の意向)を踏まえれば、再建しないわけにはいかない。そして、検討委員会が示したように、再建方法にはいくつかある。

・A案 文化財として極力完全な復元
 (保存部材を最大限活用し、内部・外部とも忠実に復元、費用約 3.3 億円)
・B案 一部復元・資料館として利用
 (保存部材を最大限活用し、外部は忠実に復元、内部は一部の復元、費用約 2.9 億円)
C案 資料館として復元
 (保存部材を一部使用し、現代工法で模造復元、費用約 1.1 億円)

 このうち、A案はコストがかかる。B案は中途半端だ。では、C案だろうか? いや。C案のように、全体を復元する必要が果たしてあるのだろうか? 富岡製糸場と同じオリジナルを元にした建築で、なおかつ、もっと古いことが視覚的にきちんと伝えられれば用は足りるのだ。
 ついては、D案を提案したい。博物館の更新時に歴史資料館を建設し、その展示の一部としてティボディエ邸を組み込むのが良いのではないか。それまでは、部材は引き続き保管すればいいだろう。

●ドライドックこそ価値がある
 富岡製糸場と同様に、というよりそれ以上の歴史を持って、動態保存されて現存する歴史的建造物が本市にはある。ドライドック群だ。
 とりわけ、米軍に「占領」された基地内となってしまっている1〜3号ドックは、日本の近代化の鍬入れの地である。近代日本はここから始まったのだ。
 しかも、現在、米軍による1〜3号ドックの使用頻度は低いという。大型艦船が入る4〜6号ドックが中心であり、1〜3号は今ではもっぱら海上自衛隊の小さめの艦船の修理のみだという。
 これを一般向けに展示すべきだ。
 観覧者がドック以外の場所に立ち入らない設備と、ドックに落ちない柵などのコース整備。これさえできれば、返還にはこだわるべきではない。1〜3号ドックの所管が国であろうが、市に移ろうが、米軍に「占領」されたままだろうが、当面は問わない。そういった建前よりも、一般公開という実利を、まずは重視すべきだ。
 他にも、浦賀には世界に4ヶ所しか現存していないと言われるレンガ積みドライドックの浦賀ドックに加え、川間ドックが現存しており、これも価値が高い。ただし、民間企業の所有となってしまっており、公開するもしないも、先方の胸先三寸である。
 一方、横須賀の1〜3号ドックは、施設管理権こそ米軍にあるが、所有はあくまでも国のはずでである。交渉による打開の可能性は大いにあり得る。
 議長や市長による交渉ができないものか、今後、探ってみたい。
IMG_3235.JPG
IMG_3234.JPG
 なお、写真は、日本製鋼所内の赤レンガ倉庫。現役で使用しているという。
 以上で、瑞泉閣の視察報告を終える。
posted by 小林のぶゆき at 15:23| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小林議員様、懐かしく、記事を読ませていただきありがとうございました。実は、私は、室蘭の出身です。
実家は、製鋼所のある母恋の一つ先の室蘭駅から10分程の測量山のふもとです。
40年程前、高校のころは16万人くらいいた人口が今は10万人を切って、しかも高齢者が半数以上らしい、またシャッター街ばかりで買い物もたいへんと親戚もよく言ってます。
こんな街にならないようにしたいですね。よろしくお願いします
頑張って下さい
Posted by 太田肇 at 2017年08月19日 10:15
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