2017年08月09日

8/9におもう、ナガサキと戦争犯罪

 72年前の今日、長崎に原爆が落とされ、7〜8万人の非戦闘員が殺された。3日前のヒロシマと合わせて20万人以上だ。

 8/6の投稿でも同じだが、「亡くなった」のではない。「殺された」のだ。そして、8/15は「終戦」記念日ではない。「敗戦」の日だ。
 8/6の投稿ではっきりとは書きそびれたが、言葉の遣い方には、意味があるからこだわっている。

 日本軍も非戦闘員を多数殺害した。それは、言い訳のしようがない。規律を守れない軍人や守れない場面などもあった。巻き込まれた市民もいた。

 しかし、米軍の所業はどうだろう?
 はじめから、軍人や軍事施設だけではなく、都市そのものを狙った。非戦闘員を殺戮する目的で、軍事行動をした。
 これは、戦争犯罪ではないのか?

 加えて言えば、ナチスと何が違うのか?
 ナチスによるホロコーストは、民族浄化であり、最悪の戦争犯罪だ。
 一方、米国はあくまで共産主義を食い止めるため原爆が必要だった、と主張する。しかし、白色人種が多い国に原爆を落とした場合、戦争犯罪は問われていたのではないか? 猪瀬直樹が『黒船の時代』で描いていたように、下敷きがあって黄色人種への偏見が拭い難くあったのではないか?

 日米同盟も必要だろう。友好国ではあるだろう。
 しかし、言うべきことは言うべきじゃないのか?
 米国は、戦争犯罪と言われたら不愉快だろう。しかし、過去の真実を突き付けて破綻するような信頼関係ならば、それまでの話ではないのか? その程度で、本当に対等の同盟関係が築けるのか?

 右も左も、戦後だらしがなかった。この国は、いつまで植民地であり続けるのか? 自国の戦争責任に向き合うのと同じ熱量で、他国の戦争責任も指弾すべきだ。

 無辜の市民が、大量殺戮(ジェノサイド)に遭った。しかし、加害者たる米国は謝罪一つしていないにもかかわらず、わが祖国は殺戮国と仲良くしている。それどころか、朝貢外交よろしく言いなりとなっている。このまま、戦争犯罪を曖昧にしてしまっては、ナガサキの人々も浮かばれないだろう。

 右も左も関係なく、歴史にきちんと向き合いながら、来週8月15日には、皆で「敗戦」を噛みしめたい。

posted by 小林のぶゆき at 20:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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