2017年07月08日

雄たる人、吉田市長の挫折と功績

期待しすぎたのか? 期待させすぎたのか?
YoshidaYuto.png 本日7月7日、吉田雄人・横須賀市長が2期8年間の任期を満了し、17:30に退庁式があった。

 私も、その最後の仕事に立ち会った。
 彼に、この8年の任期を与えた有権者の一人として。
 また、前回は彼を推した政治家として。
 そして、彼の政策を強力に応援し、叱咤し続けた議員として。

 「……俺たちは、期待しすぎたのかもしれないな」とも思う。

 逗子に育ち、鎌倉・逗子の独特の浮動票型選挙スタイルの空気の中で政治を志した吉田氏。高校時代に通った横須賀市を変革のフィールドに定め、2003年に市議に初当選。2009年に「チェンジ」を掲げ、変革を約束し、市長となった。多くの市民が期待した。私も期待した。

 しかし、改めて思う。
 そこに、大きなボタンのかけ違えがあったのではないか?
 吉田氏の「チェンジ」は、実は「改善」「漸進」だったように思う。しかし、私を含め、彼に投票した多くの市民は「チェンジ」に、このまちの「改革」や「飛躍」を期待した。

 難しい問題だと思う。
 市民が「改革」を期待しなければ、吉田氏は選ばれなかった。しかし、彼の地金は「カイゼン」の人であり、少しずつ「改良」していくのが、実は彼のスタイルであった。6年間、議員として彼の仕事を見てきて思う。
 このボタンのかけ違いについては、吉田氏に悪気はなかったのだろうと思う。最後まで、無邪気に見えた。それが、彼の人気の秘訣でもあったろう。

 「……彼は、期待させすぎたのかもしれないな」とも思う。

吉田氏の評価と功績
 吉田氏の問題点については、既に何度も触れた。だから、今日の退任の日に改めて批判したりはしない。
 →「私がなぜ市長を批判するのか〜吉田氏を選んではいけない3つの理由〜」
 →「何度でも言おう。吉田雄人氏を選んではいけない。」
 →「【市長選緊急リポート】結果の出せない会社、「株式会社横須賀市」の病理と処方箋」

 しかし、吉田氏には大きな功績もあったように思う。

 障害者に対する優しいまなざしや、市政を身近に感じさせた政治スタイルなど、人によって評価する点は様々だし、数多くあるだろう。それは、それぞれで良い。
 ところで、私にとって大きな功績は、3つある。以下、それを紹介して、吉田氏へのはなむけの言葉としたい。

(1)根回しをしないオープンな政治文化をつくった
 吉田という人間は、頑固だった。そして、根回しをしなかった。
 たとえば、中学校給食については、私は市民の声を焚き付け、議会の仲間の協力を得て、包囲網をつくり、何度も吉田氏に実施を迫った。しかし、なかなか首を縦に振らなかった。手強かった。
 選挙の票だけを考えれば、さっさと屈服したほうがトクだったろうと思う。しかし、財政規律論者の彼は、財政出動の多い給食ではなく、あくまでも行政の持ち出しのない民間活用の仕出し弁当にこだわった。結局は、ニーズに応えられず、劣を認めて給食導入へと舵を切ったが、私は「敵ながら、ある意味で信用できる」と感じていた。「媚びない政治」と本人も言っていたが、「大衆迎合はしないぞ」という意思を感じた。
 とはいえ、自身「市民が主役のまちづくり」と標榜していたにもかかわらず、圧倒的な市民ニーズを見誤ったとも言えるだろう。政治家として、あまりに固陋に過ぎたようにも思う。

 この一件が示すように、本来なら、議員が提案した様々な政策を採り入れることで、様々な勢力を味方につけ、政治基盤を盤石にすることもできたはずだ。多くの首長は、それをする。もちろん、私を引き入れることもできた。しかし、吉田という人間は、こういった取引や根回しをしなかった。
 私は、多様な民意を束ねていく民主政治の現場においては、こうしたダイナミズムも重要だと考えている。だが、彼はそのスタイルを貫いた。成功/失敗は別として、それは彼の生き方だ。あっぱれだったと言いたい。

 なにより、議会質疑において事前の調整なしでガチンコでやり取りするスタイルは議会を活性化させた。しっかりした市長与党というものを作らなかった。ときに「言語明瞭、意味不明瞭」とも揶揄されながらも、基本的に市長自身が答弁し、いわゆる市長与党系会派とも丁々発止の議論がなされた。その結果、「二元代表制」がきっちり意識されている、全国的にも優れてオープンで闊達な議会風土ができた。これは彼の置き土産だろう。

(2)事業のリストラにも挑んだ
 「吉田氏でなければ、あのタイミングで為しえなかったろう」と思う取り組みが、「事業仕分け」と「事業シート」の公開だ。
 もともと、自民党ムダ撲滅チームと志ある自治体職員と構想日本がタッグを組んで開発してきた「事業仕分け」。これに、当選直後に着手し、事業のスクラップ&ビルドに挑む姿勢は示していた。ただし、大きな反発の中、いったんは矛を納めざるを得なかった。
 しかしその後、繰り返し本市の全事業の「事業シート」公開を迫る私に対して、時間はかかったが応えてくれた。
 →「ついに「事業シート」公開! 「必殺仕分け人」、出番です。」

 残念ながら、市長はこれを公開はしたものの、十分に活用できなかった。事業のスクラップができなかった。したがって、ビルドもたいしてできなかった。
 しかし、これは独り市長のみを責めるべきではない。既に、道具は公開され、皆の手の中にある。議会も斬りこめばよかったのだ。私の怠慢もあって活用しきれていないが、このツールを橋頭保として、議会側からも事業の見直しに切り込んでいくことが今後求められるだろう。

 また、市長は値上げにも踏み切った。私が提案して多くの批判も浴びた例の中央斎場の有料化と値上げ、下水道料金値上げ、介護保険料の値上げ、などなど市民負担を求めることにも怯まずに取り組んだ。値上げの仕方は、所得累進性が十分ではないなど、私の満足いくものではなかった。とはいえ、先送りする市長も少なくない中、その姿勢は立派だったと言えるだろう。

3)ハコモノのリストラにも切り込んだ
 ハコモノのリストラ、つまり公共施設マネジメントにも取り組んだ。皮肉なものだが、新市長・上地克明氏も議員時代に求めてきたものだ。私も含め多くの議員の求めに応じ、「公共施設マネジメント白書」を策定し、将来負担の推計を示したのは、諸手を挙げて拍手したい功績だった。この市長でなければ、まだまだ先延ばしされていたかもしれない。
 →「市長の『ハコモノ行脚』を追っかけしてみた 〜市民の反応はどうだったか?〜」

 ところが、将来世代に負担を先送りしないためにはハコモノの30%削減が必要なのに、「市民理解が得られない」と怯んで17%削減の計画しか示せなかった。それも、市民の声を軽視した独善的な計画だった。彼自身は「将来世代にツケを残さない」「市民が主役のまちづくり」と掲げてきた。それだけに、多くの議員や市民の落胆は大きかった。
 とはいえ、本日の退庁式でも、やり残したことのひとつに挙げていたのが、この公共施設マネジメントだった。ある意味で意外だった。漸進主義者の彼なりには少しずつ取り組んでいたつもりだったということなのだろう。しかし、私にとっては全く不十分だった。もしも、子どもたちの世代のために、ハコモノのリストラを徹底してやり切る姿勢さえ示せば、他のことには目をつぶってでも、私は全力で支えるつもりだった。それだけに、本当に残念だった。

   *   *   *
 以上、これは私の評価だ。
 思えばこれらの功績は、一期目にほぼ方向づけられていた。二期目には精彩を欠いたかもしれない。
 ただ、私ほど吉田市長の政策を高く評価し、ずっと進捗を追い続け、背中を押した議員も多くなかったのではないか? そう、勝手に自負している。
 しかし、彼にとっては、同い年とはいえ後輩の生意気な政治家に尻を叩かれ続けているようで、不愉快だったろう。期待したからこそ、裏切られたと感じ、ずいぶんきつい言葉で迫ったこともあった。そこは申し訳なかったと思う。

 期待しすぎたのか? 期待させすぎたのか?
 みんなをそうさせたのも、彼の人間的な魅力のせいかもしれない。
   *   *   *

 第35代横須賀市長として、確かな足跡を残されました。
 吉田雄人さん、本当におつかれさまでした。
 8年間、ありがとうございました。
posted by 小林のぶゆき at 01:38| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
期待は「現実」によって裏切られる、
これは自然のことです。
「評論家」ではなく、「当事者」の立場になれば、その「現実」の重さに気がつくと思います。
Posted by kemukemu at 2017年07月08日 10:30
K市長も、センター方式と言っています。
思惑通りにいかない、
これが長期的に見たときの「現実」なんですよ。
Posted by kemukemu at 2017年07月20日 19:29
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