
そんな私がなぜ吉田批判を続けるのか?
正直に言えば、私を支援して下さってきた方々や支援団体も、ほとんどが吉田市長支持だ。みなさんに足並みを合わせ、私も吉田市長を応援したほうが無難だ。応援しないまでも、せめて何も態度表明せずに「寝て」いたほうが、支援者の反感を買うこともなく私にとってはトクだ。
「小林のネガティヴ・キャンペーンは見ていて不快だ」「批判ばかりの議員は要らない。給料返せ」など、様々な反発も受けている。私は、次回の選挙で大幅に票を減らすだろう。
「欠陥商品」を世に送り出した責任を痛感
それでもなぜ「吉田氏を選んではいけない」とハッキリ言うのか?
それは、シンプルだ。よくない市長だからだ。
そして、私の良心に従えば、それをきちんと市民のみなさんにお伝えしなければならないと思ったのだ。議員の職責の第一は、市長を監督すること。監督してきた結果、「吉田雄人氏を市長の椅子に座らせておくことは、横須賀市民のためにならない」と判断した。個人的にも、私の息子やその友達たちを考えれば、こんな市長を置いておくわけにいかない。黙っているわけにはいかなかったのだ。
しかも、私には「製造者責任」がある。PL法であれば、欠陥商品を作って送り出したら、損害賠償の責務が生じる。私は4年前、単に吉田氏に投票して送り出しただけでなく、「政策で選ぶなら吉田氏だ」と市民に勧めた人間だ。その責任はなおさら重いと感じている。もちろん、今でも政策だけなら悪くなかったと思う。しかし、その政策を実行に移さなかったわけで、予見できなかった自らの不明を恥じている。スペック比較しておススメした自動車が、スペック通りの性能が出ない欠陥商品だった。そんなディーラーに似ている。本来ならリコールものだ。
吉田雄人氏を選んではいけない3つの理由
では、いったい吉田市長の何が「よくない」のか?
大きく3つある。
(1)公約をまもらない。
(2)誠実でない。
(3)子どもたちに平気でツケ回しをする。
以上が概要だ。以下、詳しく説明していく。
(1)公約をまもらない。

一方で、「一期目のマニフェストや二期目の政策集に対する第三者評価では高い点数が出ているじゃないか?」という声もある。確かに、点数は悪くない。しかし、いみじくも評価した専門家自身が「あくまでアウトプットの評価であってアウトカムの評価ではない」と言っている。つまり、「言ったことをやれたかどうか、単純にチェックしただけです。それでまちがよくなったかどうかは、私たちは知りませんよ」という意味だ。
私も、「1期目はやりたくても抵抗が多くて改革できなかったんだろう」と信じていた。しかし、2期目を見ていて、改革する気がない「偽装改革派」だったことが判明した。チャレンジしてできなかったなら、まだ評価できる。だが、本腰入れてやる気などなかったのだ。
(2)誠実でない。

これだけでも十分に不信任に値する。だが加えて、100条委員会やマスコミでも問題視された、虚偽発言問題と公選法違反名刺問題もある。誠実な人間なら、こんなに問題を続けて起こすはずがない。
加えて、私について言えば、吉田市政に不満は色々あったものの、公共施設マネジメントと中学校給食対応を約束したから、前回も推したのだ。しかし、いずれも反故にされた。ボッタクリの店と何ら変わらない。守られなかった公約は多いため、他にも期待を裏切られた方は多いだろう。
(3)子どもたちに平気でツケ回しをする。

この発言を聞いて、私は耳を疑った。「能力がないなら、さっさとやめろ」というのが普通の感覚だろう。代替案なら、我々は提案済みだ。実現する方法がないわけではない。しかし、それをやりきる政治的能力がないということだ。
いずれにしろ、この選挙戦の最中も「ツケを残さない」とふれまわっているが、空疎なキャッチコピーに過ぎない。言行不一致で、欺瞞を何とも思わない厚顔無恥ぶりには感心すら覚える。
何度でも言う。吉田雄人氏を選んではいけない。

掲げた公約を吟味し、そのうえで信任し、進捗を評価し、次の選挙で審判を下す。そんな、政策本位・政策選択の選挙を我々有権者がつくっていくことで、このまちの民主主義を再起動させたい。
※画像提供:PAKUTASO/イラスト提供:いらすとや
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