言いにくいことだが、あえてハッキリ言いたいと思う。
まず、議員報酬について。
議員報酬は本来、「自分たちのまちの議員にどれだけ仕事をしてほしいか? どのレベルの人材が欲しいか?」というモノサシだと思う。
日本一の横浜市会議員は、年棒約2200万円。「報酬に見合った専門性や高い知見を持って仕事してほしい」という有権者のメッセージだ。
一方、矢祭町では年棒0円。出席1日あたり3万円の日当制。「議員は俺たち生活者の代弁者であればいい。別に兼業でいい」ということだ。
どっちが正しいというものじゃない。ただ、間違いなく言えるのは、多くのまちが人口規模に応じて報酬を決めているが、そんなのはおかしい。仕事の質と量で決めるべきだ。
我が横須賀市議会議員の年棒は約1100万円。国によっては国会議員レベルの報酬だ。今の市民の願いを反映できているかどうかは別として、これは専業でできる報酬だし、平均年収より高いということは「高度な人材を市民が求めている」ということになる。
次に、政務活動費について。
政務活動費は本来、「よりよい経営判断を下してもらうためには、議員にも勉強してもらわないと。情報や知見を集めたり調査や研究をするための費用は必要だ。報酬に含めてしまうと、ケチって勉強しなくなるかもしれない。別建ての費用弁償がいいだろう」という趣旨だと思う。
つまり、政務活動費がゼロのまちは「俺たちの議員に勉強なんてしてもらう必要なんてない」もしくは「議員なんて手弁当でやれよ。その人の持っている知見や専門性が追い付かなくなれば、他の人に替えればいいだけでしょ」というメッセージだ。
一方、横須賀市議会は年額166万円。「いっぱい勉強し、いっぱい仕事しろ」との指令だと受け止めている。
しかし、本来なら研修会の多い東京から遠い議会ほど政務活動費を増やしたほうがいいんじゃないかとも思うが、それはそれぞれのまちの市民の判断だ。
ただし、費用弁償の方法については「予め企画書を提出し、議長による査定を受けて仮払いを受け、最後に清算する」という方法についての示唆を市民から頂いたので、議論してみたい。とりわけ、自分は議員1年目のとき、横須賀市議会で過去最高額となる72万円の放射能測定器を買ったものの、あまり活用できなかった、という失敗をしている。今も、ロッカーの中に眠っている。大いに反省してきたし、他の仕事で返さないといけないと感じている。
いずれにしても、昨今の「政務活動費は悪!」「議員がまず身を切れ!」という風潮には違和感を感じる。
とはいえ、「横須賀市が沈んでいる経営責任は自分たち議員にある」ということが判明すれば自らの報酬カットを提案する覚悟は持っている。ただし、現在の我が市の状況を見たとき、その経営責任は誰にあるのか?
「俺じゃなく、無策の市長の経営責任だ」と心から思っているため、私はいま報酬カットを言い出すつもりはない。私は、1100万円の報酬に耐えるだけの調査に基づく提案をしてきたと自負している。「俺の提案を容れなかった市長のせいで、市政は停滞した」と確信を持って仕事している。
この記事へのコメント
太田肇
いつも考えさせられる事案ありがとうございます。
議員報酬は市民のために働いた報酬と考えます。
一方、政務活動費は議員が市民のためになることを
勉強した(する)費用だと思います。したがって、
失敗もあると思います。決められているから全部
使えるという考えは間違いだと思います。
昨日、近所の個人経営者と話した際、今の市長は無策だ、と言ってましたが、どうでしょう?
うまくまとまりませんでした。 参考意見です。