まず、舞鶴引揚記念館に伺い、館長や語り部の方々からお話を伺いながら展示を観覧した。
※写真は現地に復元された桟橋→
ただし、その物語は知らないが、引揚者のことは聞いていた。特に戦後、我が市でも浦賀港が引揚者を受け入れる場所となり、せっかく帰還したにもかかわらずコレラや栄養失調で亡くなった方も多かったと聞いている。
しかし、館長も館長なら、その提案を容れた市長も市長だ。
文化財の保護や展示にはカネがかかる。引揚の歴史といった地味な内容では、「集客による経済効果でペイする」みたいな上手い話にはならない。300円の入館料では、来館者が1万人増えたところで300万円にしかならない。しかし、市長は、先に述べたような行財政改革で削るべきところは削りながら、引揚記念館には直営化とリニューアルという、金銭的リターンのない「投資」をしたわけだ。やるべきことはやる、という覚悟を感じる。
なおかつ、「ふるさと納税」の活用もしており、そのあり方にも矜持を感じた。以前、過去記事『佐世保で気付いた「ふるさと納税」の浅薄さ』でも取り上げたように、全国の「ふるさと納税」は、なりふり構わぬオマケ商法大合戦の様相を呈している。しかし、舞鶴市は「ふるさと納税」の使途を引揚記念館による平和教育に限定している。
もちろん、佐世保市同様に魅力的な地場産品を豊富に持っている舞鶴ならば、魅力的なオマケで寄付をもっともっと「釣る」こともできたはずだ。しかし、舞鶴市は「引揚の歴史をもっと多くの人に伝えたい」という大義を訴えることに主眼を置いている。多少の返礼品は設けているものの、基本的には大義に訴えるマーケティング手法「Cause Related Marketing」の枠をはみ出していない。
ひるがえって、我が市はどうか?
「このままじゃ他のまちに吸い取られるばかりだから、うちもオマケ商法に参入します」と「ふるさと納税」の返礼品競争に手を染め、多少は寄付が増えたものの「転出超過」は解消していない。舞鶴市と比べると軽佻浮薄ぶりが浮き立って見える。
また、我が市にも「浦賀港引揚記念の碑」「浦賀引揚援護局引揚者精霊塔」「供養塔」などはあるものの、どれだけ生涯教育に活用してきただろうか? そもそも、戦争・平和・引揚・庶民の困窮といったテーマにどれだけ向き合ってきたのだろうか?
本市の現在の博物館のあり方は、近代日本を凝縮して体現してきたこのまちの特異な歴史にふさわしいものなのか? 美術館も法律上は博物館だが、骨太なテーマに向き合いもせずに、背伸びして美術館をつくる必要があったのだろうか? 今からでもそれらの施設を使って、集客とかカネとかそんな話に拘泥せずに骨太なテーマに向き合うのが、このまちに生きる我々の責任なのではないだろうか?
舞鶴市の生き方を見ると、そんな気がしてならなかった。
続いて、舞鶴赤れんがパークをガイドさんの案内で見て回った。
以前、過去記事『京都府舞鶴市 「赤れんがを活かしたまちづくり」』でも取り上げた通り、過去に一度足を運んだ場所だ。
当時は、整備したてで、活用もまだ緒に就いていなかった。そのため、当時の視察報告では酷評したが、現在ではかなり有効に活用しているようだった。
その後、お昼ごはんにはせっかくだから舞鶴名物の肉じゃがをいただき、自衛隊の海軍記念館と自衛隊桟橋を見学して、2日目の視察を終えた。
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