
先日、3/27に会派・研政を代表して議会で質問に立ち、吉田市長の8年間を総括しました。一問一答で市長と議論を交わす中で、「この市長には任せておけない」との評価を固めました。
●公約を守らなくてもニヤニヤしながら言い逃れをする。
●「将来世代にツケを残さない」と豪語して、精緻な財政基本計画もつくって手柄だとアピールしてきたが、肝心のハコモノに手を付けずに436億円ものツケまわしをする。目先のことはしっかり対処している風を装って、将来の大穴を放置して逃げ切ろうとする。
●「我々が何とかしなかったら、残された市民はどうするのか。子どもたちはどうなるのか」と問うても、「私の能力ではなかなか難しい」と開き直る。
こんな市長を置いておいたら、横須賀市の未来は灰色になります。「私には能力が足りない」と自分で言っているのだから、差し替えなければいけません。
ぜひ、下記の市長とのやり取りの抜粋を読んでみてください。吉田市政の根本的な問題が浮き彫りになったと感じています。
なお、録画はコチラからご覧いただけますし、詳細な議事録も後日コチラで公開されるはずです。
【小林】
私が納得いかないのは、「市民が主役のまちづくり」だ。市長のこの言葉にずっとこだわっている。先日、「市民に痛みを伴うから市がまず計画を示すべき」と答弁した。論理的に意味がわからない。「市民が主役のまちづくり」だったら、話が逆だ。「市民の財産である施設を、何とかしなきゃいけない。どうすればいいかは、使用人が勝手に決めずに、ご主人様にお決めいただく」というのが普通だろう。論理的に説明されたい。
【吉田】
新ごみ処理施設をどこに置くか。というときにも、大変な批判を私は頂いた。「市民無視だ」というご意見もたくさん頂いた。こういった時にも、市民のみなさんに「どこに作りましょうか」と諮らなかった。
一方で、ああいった施設をどこに配置するかについては、市民のみなさんにお諮りするよりも、行政の素案をしっかりと示したうえで、市民のみなさんにご理解を頂いていくのが正しいやり方ではないか。
当然、「横須賀の市民のみなさんが出すゴミを燃やす施設を、私の裏庭に作られたら困るという抗弁は通用しないのではないか」という声もあるかもしれないが、市民のみなさんが、感情的な議論だけで、議論を行ってしまって、将来を見通せなくなるのも、厳しいのではないかと私は思っている。
とはいえ、骨子案を示した後、市民のみなさまにご理解を頂くために、丁寧に丁寧に説明を繰り返してきたし、どのような施設にするかということについては、地域のみなさんのご意見をしっかりと頂きながら基準に反映させてきた。
ロジカルに言えば、「市民に全部預けて形にするのが市役所の仕事なのだ」ということになるかもしれないが、市民感情というものもふまえながら、市政運営は行っていかなければならないと考える。
【小林】
今のご答弁を聞いて、なぜ、こうも食い違うのか、非常に腑に落ちた。
市長は、施設配置適正化を、ごみ処理施設をどこに置くかと同じ話だと思っている。つまり、迷惑施設。負担の分配の話だと思っているということが、ようやくわかった。だから、施設配置適正化計画が灰色の計画になるのだ。
違う。夢を描くのだ。グランドデザインを描くのだ。これは負担の分配ではない。もちろん、施設全体は減らさなければならない。でも、どうすればいいまちにできるか、という話は、市長が心配するように、市民が感情的になる話ではない。いい行司役がいれば描ける。私は市民を信じている。市長のように、感情的になってギャーギャー言うとは思っていない。まちの未来を描く話だ。市長の暗さが、この街を覆っているのがわかった。認識を変えたほうがいい。横須賀のために。どうか。
【吉田】
あまり性格が暗いと言われたことがなかったので、暗いと言われてちょっとショックを受けているところだ。
私としては、決して負担の分配というつもりはないが、いま使っている利用者の方々等には、負担をさせてしまうことになりかねないと思っている。しかし、将来世代の負担ということをさらに考えれば、必ず実施していかなければいけない取り組みだと思っている。
そうした中で、「夢を描くのだ」「縮減ではなく縮充だ」という議論もあったが、そういう考え方を持つことも大切なことだと思う。
一方で、まだ使える施設を壊して統廃合するという際には、かなりの力を使わざるを得ない。そういう判断をしなければならないときもあるかもしれないが、私としては、暗い計画を描いているわけでもなく、縮充という観点をしっかりと持ちながら、今後、官民連携や複合化の視点を持った施設分野別実施計画を作っていきたいと思う。
【小林】
暗い計画だと思わないということだが、私は夢を感じない。
それはそれとして、いま「将来世代に負担を残さない」と言った。
そう言うのであれば、市長から、2期目の市長選の前に、中学校給食について「無責任な政策」と言われた。「財源の確保もできていない段階で無責任だ」と。私は財源を示していたし、対抗馬も財源は頭の中にあったと思う。市長の謝罪は受け入れたが、よく覚えている。
無責任だというのであれば、「施設総量30%削減しなければ市の財政がもたない」というのは、市長が自ら作った公共施設マネジメント白書の結論だ。そして、市長の政策集では「白書に基づいた施設の適正な配置計画を検討します。」とうたっている。白書に基づくならば、30%削減分の財源を示さなければダメだ。つまり、毎年25億円。これを示しもしないで、17%削減で逃げ切ろうというわけだ。よっぽど「無責任な政策」ではないか。残りの13%はいつ示してもらえるのか?
【吉田】
この13%分の財源については、具体的に「どこをどうすればひねり出すことができる」という計画は、なかなか示すことが難しいと思っている。
逆に、廃止した施設の売却や民間活力の活用、あるいは空きスペースの民間への貸し出し、そういった形でなんとか財源を生み出していく必要がある、とは感じている。
【小林】
希望的観測だ。市長を何期やられるつもりかわからないが、今のは、「先のことだから何とかなるだろう。次の世代が何とかしてくれるんだろう」という話ではないか。それこそ無責任だ。今の段階で示さなければ、できないではないか。「巧言令色鮮し仁」と言うが、いくら言い募ったところで納得できない。13%分の財源確保策をいつ示してもらえるのか。ずっと待っているのだ。「今の段階では示せない」という言葉は聞き飽きた。いつか示さなければダメだ。それで「将来世代にツケを残さない」だと? いま示してほしい。
【吉田】
13%の財源を示すことは、私の能力ではなかなか難しい。
【小林】
市長の能力で示すことができないなら、我が市の財政はどうなってしまうのか。
【吉田】
私が、施設配置適正化計画の中で定めた17%分の施設の縮減をしっかりと実施していくことが私にとっての責任の果たし方だというふうに理解頂きたい。
【小林】
こだわるようだが、17%分では足りないという予想は、公共施設マネジメント白書の中で、ご自分で示したのだ。それで、「自分には17%分しかやれない」では、横須賀市はどうなってしまうのか。市長はいいかもしれない。何年後かにはこのまちにいないかもしれない。しかし、残された市民はどうするのか? 僕の子どもはどうするのか? 僕たちの子どもたちはどうするのか?
市長は「将来世代にツケを残さない」と言ってきて、だから私は市長を信じて投票もしたし、かつては応援もしていたが、今の話はどういうことなのか?
【吉田】
30%分を施設で削減するということは、市民生活の利便性や市民サービスのあり方を考えると、現実的には難しい。そう判断をして17%と。それですら、簡単な目標ではないが、示させて頂いた。私の力としては、17%分の削減をしっかり果たすことが責任の果たし方と認識して頂きたい。
【小林】
市長が今言っている市民は、現在の市民だ。将来の市民、つまり子どもたちのことを考えた発言ではない。しかも、13%分を何とかしたいと言っても、空手形ではないか。きちんと裏書のある手形を僕らが示さないと、僕らの子どもたちの負担が増える。考えるべきだ。
【吉田】
私としては、空手形を切れないからこそ、17%という数字にコミットした。
【小林】
詭弁としか思えない。
私は、1期目の選挙の時には、変革を期待してあなたに投票した。2期目の選挙の時も、「本当は改革したいのに、役所の中の抵抗が大きいからできないだけなのだろう」とまだ信じていた。だから、あなたに投票した。でも、あなたは変わってしまった。
改革するつもりがあったのか? 当選したいから、改革派を装ったのか? どっちだ?
【吉田】
改革するために選挙に出ている。
【小林】
かつて市長の元で、インターンをされていた経験のある議員からも、「チェンジを掲げたならば、抜本的に変えよ」との声が出ていた。私もまったく同じ思いだ。市長はこの8年間、チェンジを断行したと胸張って言えるか
【吉田】
胸をはって言いたいと思う(胸をはるポーズ)
【小林】
いま、とてもがっかりした。
裏切られた思いだ。以上で質問を終える。おつかれさまでした。
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