「市長より議会がエライのだ」論への反論の反論

 前回記事で、法律の上でも【住民>議会>市長】という序列があると述べた。
→「地方自治法は、市長より議会がエライと考えてる?!」
 この考え方に対して、市職員から2件の反論を頂いた。それに再反論してみたい。なお、こういう議論は大事だし僕は好きなので、言ってくださった職員の方には感謝していることを申し添えたい。


(1)法律の条文の順番で偉さが決まるなら、憲法では内閣より地方のほうが後だ。しかし、だからといって地方が国より下だということにはならないではないか。

 この反論は、地方で働く方としての気概があふれているし、僕は好きだ。しかし、日本国憲法の条文の並びを見ても、序列がきちんとあると僕は思う。
 →日本国憲法
 日本国憲法の章だては、第1章「天皇」、第3章「国民の権利及び義務」、第4章「国会」、第5章「内閣」、第6章「司法」となっており、遅れて第8章「地方自治」とある。これも、当時の考え方で、乱暴に言えばエライ順番に並べていると思う。【天皇>国民>国会>内閣>司法>地方】という序列が反映されていると思う。グループ化するならば、【国民(国民の象徴たる天皇含む)>三権>地方】ということになる。
 なにしろ、憲法が制定された当時は「官選首長」の時代で、やはり地方は国の下請けであったろう。もちろん後年、地方分権一括法によって地方と国とは対等の関係とされたが、それはタテマエの話で、ホンネでは相変わらず国は地方を強力に統制している。そして、最も重要なことは、現在の日本憲法の下では、都道府県や市町村は「地方政府」ではないということだ。あくまでも「地方公共団体」でしかなく、欧米のような地方政府ではない。ちなみに、地方分権を訴えてきた立場からすれば、僕は改憲論者だ。憲法92条~95条は改訂すべきだと考えている。
 なお、三権の中でも、国会>内閣>司法という序列には意味がある。憲法においては、明快に議会を行政より上だと考えている。憲法学上も「国会は国権の最高機関」が定説ではないか。だからこそ、地方議会が国に意見書を出す時も、衆院議長と参院議長を総理大臣よりも序列上先に書くのだ。

(2)地方自治法では、首長の広範な統轄権を認めている。一般的な解釈から考えれば、市長より議会が上ということはないのではないか。
・第147条  普通地方公共団体の長は、当該普通地方公共団体を統轄し、これを代表する。
・第148条  普通地方公共団体の長は、当該普通地方公共団体の事務を管理し及びこれを執行する。

 →地方自治法
 僕も、首長に執行機関の広範な統轄権があることは認める。たとえば教育委員会や選挙管理委員会など、エージェンシー制をとっている部局も含めた統轄権ならあるだろう。実際、予算も市長がまとめて提出する形となっている。
 しかし、憲法が国会と内閣を明確に分けているように、地方自治法も議会と執行機関を明確に区分している。地方自治法第147条は、あくまで執行機関の中身についての権限の話であって、議会には及ばないと見るべきだ。
 アメリカ型ガバナンスの「執行と監督の分離」モデルを採用している地方自治法においては、執行機関である市長と監督者である議会をきちんと分けて、章だても区分している。そして、やはり僕は地方自治法上、「合議制の意思決定機関である議会は市長よりエライ」が結論だ。それは、アメリカ型の経営において、会社は株主のものであり、最も権限があるのは株主であり、株主に選ばれた取締役が最高意思決定機関であるのと同じ話だ。確かに日本型経営では、会社においても社員が強く、役所においても職員が強い。しかし、好き嫌いの話ではなく、アメリカのモデルを持ってきたのだから、その地方自治法に沿って市役所を議会が統治するまでのことよ、と考えている。


 以上、反論に再反論を試みた。なお、参考文献としては次の2冊を挙げたい。「なんだ、小林はこんな初心者向けの古ぼけた本を論拠に使っているのか」とバカにされるかもしれないが、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく」な古典は含蓄があると思う。
●文部省『あたらしい憲法のはなし』1972年
●尾崎行雄『民主政治読本』1947年
 この議論は、いつか全国的に学者も交えてできたらいいのにな、と考えている。

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