【会派視察報告後編】呉市に学ぶ軍港資料館と近代史への向き合い方

 前回に引き続き、会派・研政での視察報告です。3日目となる5/27は、広島県呉市に「大和ミュージアム」と「てつのくじら館」の視察に伺いました。物見遊山ではありません。なぜ視察したのか?
※写真は「大和ミュージアム」とその隣にある「てつのくじら館」の潜水艦
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 横須賀市・呉市・佐世保市・舞鶴市は旧軍港4市として、よく並べられます。
 かつて、旧日本海軍の第一海軍区(横須賀)、第二海軍区(呉)、第三海軍区(佐世保)、第四海軍区(舞鶴)の軍港として、それぞれ鎮守府が置かれていました。
 そして、戦後は旧軍港市転換法(軍転法)の対象となる4市として、共に「平和産業港湾都市」の建設を目指してきました。
 2016年4月には、この旧軍港4市が「日本遺産」に認定され、それを受けて4市で協力して旧軍港4市のホームページも作っています。そこでは、「平和観光港湾都市」を目指すと謳われています。「平和産業港湾都市」の「産業」のうち、特に「観光」に力を入れていくという方向性なのでしょう。

 そんな旧軍港4市のうち、舞鶴にはかつて視察でお邪魔したことがありますが、呉と佐世保には伺ったことがありませんでした。そして、横須賀市では「(仮)軍港資料館をつくろう」という市民団体や議会内の動きもある中で、特に引き合いに出されるのが呉の「大和ミュージアム」でした。そこで、呉というまちがどんなところで、「大和ミュージアム」がどんなところで、どんな打ち出しをしているのか、いつか現地視察したいと考えてきました。


 呉とはどんなまちなのか?
 戦前、呉鎮守府に続いて呉海軍工廠が置かれたことで大きく発展し、戦艦大和を造船するなど東洋一の技術と規模を誇る軍港として知られたようです。
PopulationYokosuka.png 人口で見れば、横須賀市と同様に第二次大戦を前に人口が膨れ上がり、戦後に激減したようです。呉の人口推移は市役所がWeb公開しておらず入手できませんでしたが、我が市役所はWeb公開しているのでグラフにしてみました(画像参照)。おそらく呉も同じような曲線を描いていることでしょう。ただし、往時の呉は人口40万人を超える全国10大都市のひとつだったようで、戦中は横須賀以上の人口を誇り、戦後は横須賀以上に急激に落ち込み、高度成長期は横須賀ほど人口が増えなかったと言うことができるでしょう。なお、急激な人口減少を迎えているあたりも横須賀と似ていますが、1992年に43.5万人から減少に転じた横須賀よりも早く、1975年の31万人をピークに減少の一途をたどっています。
 横須賀との違いは、横須賀も呉も海上自衛隊の一大拠点ですが、呉に米海軍施設はないということです。米陸軍の小さい施設がある程度のようです。この点は、かつて東洋一の軍港だったがゆえに戦中に大きな爆撃を受けた呉と、戦中は基地機能としては小さくなっていて大きな爆撃を受けなかったために戦後に米海軍が流用して一大拠点を築いた横須賀との違いですね。こうしたこともあり、呉においては海上自衛隊が大きな存在感を持っている印象を受けました。

 こうした文脈の中で、「大和ミュージアム」と「てつのくじら館」があります。


IMG_2298.JPG まず、「大和ミュージアム」について。
 「大和ミュージアム」は正式名称を「呉市歴史海事科学館」といい、近代史と近代化の礎となった科学技術とを展示の核にしています。ガイドツアーをして頂きながら展示を駆け足で拝見しましたが、一部に誤解のあるような戦争賛美の色合いは感じませんでした。むしろ、無謀な戦争で命を失わなければならなかった若者や市民への哀悼と悔悟を感じました。そして、戦艦大和をつくるほどの優れた技術がありながら先読みができなかった指導層の大鑑巨砲主義のために大きな犠牲を払ったことへの深い反省と無念を感じました。
 展示内容に続いて博物館としての概要をおさらいしてみましょう。
 1980年ごろから構想があり、1990年から構想を具体化し、1995年ごろから資料収集と準備組織づくりをはじめ、2005年に開館したようです。具体的に「呉市が博物館をつくろう」と考えてから15年越しで実現したわけです。
 建物と展示物等を含めた事業費は約65億円で、うち約30億円が補助、6億円が寄付、29億円が呉市の負担だったようです。
 初年度の来館者数は約160万人、現在でも100万人を超える来館者があります。こうした大きな集客施設ができたことで、2004年に約155万人だった呉市の観光入込客数は開館年の2005年には約345万人に倍増しました。現在でも約337万人の観光入込客数を誇ります。横須賀美術館と横須賀市自然・人文博物館の来館者数が、それぞれ約24万人・約5万人で合計約29万人ですから、その桁違いの集客力には驚くばかりです。なお、横須賀市の観光入込客数は約785万人ですが、首都圏にある横須賀は呉市に比べて恵まれた条件にあり、呉市の観光は半分近くを大和ミュージアムに頼っている状況がわかります。
 感心したのが、ランニング・コストです。2008年から指定管理者に委託しているようですが、年間7890万円の指定管理料を支払っているそうです。ただし、利用料金制をとっていて、入館料は指定管理者が受け取り、その金額の一定割合は呉市に納付する仕組みとしているようです。その呉市に還付される入館料は約7700万円とのことで、昨年度は指定管理料と行って来いでほぼトントンだったとのこと。一般的に、博物館や美術館は収益があがるものではなく、パトロンによって成り立つものです。あのメトロポリタン美術館などは、財団が運営し毎年多くの寄付を集めて運営しています。これが寄付文化のない日本の場合は、企業がバックについた民間施設か、行政がバックについた公的施設が中心です。いずれにしても、寄付者や企業・行政といったパトロンの存在が必要です。ただし、「大和ミュージアム」の場合は、呉市がパトロンにつき多くの寄付も集めてきましたが、イニシャル・コストの減価償却を考えなければ、ほぼ独立採算で成り立つ経営をしているということです。

 次に、「てつのくじら館」は正式名称を「海上自衛隊呉史料館」といい、本物の潜水艦が陸に揚げられて、その中に入ることができるという珍しい施設です。これは、呉市ではなく海上自衛隊が設置しており、来館者数など詳しいところは聞いてきませんでしたが、「大和ミュージアム」の隣に2007年に開館して相乗効果を生んでいるように思います。


 さて、これらを見て、横須賀にどう活かせばいいのか?
 私は、(仮)軍港資料館の設置にはずっと賛成してきました。ただし、財政負担を考えれば美術館と博物館に加えて(仮)軍港資料館を設置するのはムリだと思います。ちなみに、美術館や資料館など名前は様々ですが、いずれも博物館法上は「博物館」となるのが通例です。一般に、人口が30万人を超えると自前の博物館を持ちたがるといいます。しかし、横浜みたいなマンモス都市は別として、40万都市の横須賀が美術館と博物館の両方を保有するのは、そもそも身の丈に合ってませんでした。さらに、このまちにはオペラホールまであります。
 答えは一つだと思います。美術館を廃止し、博物館と統合する形で(仮)軍港資料館を整備するのです。


 その手順を言います。
IMG_2301.JPG 横須賀市にとって美術館を持つ必然性はほとんどありませんが、博物館を持つ必然性は疑いなくあります。そこで、美術館を即刻廃止し、(仮)横須賀市近代史資料館として施設を転用します。なぜ資料館設置を急ぐのかと言えば、これ以上の民間の史料の散逸を防ぎ、史料収集に力を入れるためです。「大和ミュージアム」には、本来なら横須賀にあってもおかしくなかった史料がたくさん展示されていると感じました。ちなみに、「大和ミュージアム」の裏には有人深海調査艇「しんかい」が展示されており、これも後継の「しんかい6500」が母艦「よこすか」と共に海洋研究開発機構で稼働していることを考えれば、横須賀にあってもおかしくなかったと思います。
 さて、なぜ名称を「軍港資料館」としないのか? そもそも、明治に入ってからの横須賀製鉄所は、軍港としてではなく工部省管轄の民需施設としてスタートしています。海軍省に所管が移ったのは後年の事です。また、軍港として栄えたことだけに注目すると横須賀の本来の価値を見誤ります。横須賀は、司馬遼太郎が『三浦半島記』の中で「かつてここは日本の近代工学の一切の源泉であった」と言ったように、日本の産業革命のマザー工場だったと見るべきであり、日本の近代史全体を支えた存在です。この価値を伝えるには「軍港資料館」の名称では狭量すぎるのです。
 なお、この転用については、観音崎公園の土地の一部を美術館用地として貸してくれている神奈川県も、「基本的には博物館法上の博物館であることに変わりはなく、展示内容と名称の変更にすぎませんから」と言えばそんなに文句は言わないでしょう。
 その間に、自然・人文博物館を引き継いだ新施設を整備します。場所は、横須賀芸術劇場および産業交流プラザを廃止して転用するか、新規に横須賀駅・汐入駅近辺に建設するか、どちらかがいいと思います。いずれにしても、立地が重要なので、ここは腹を決めて横須賀港周辺か三笠公園内にすべきです。呉における「てつのくじら」以上の相乗効果を産めるのは、やはり戦艦三笠の偉容をのぞめる三笠公園内でしょうね。全体としては、横須賀中央駅周辺は市民生活の中心ゾーン、横須賀駅・汐入駅周辺は横須賀観光の中心ゾーンといった住み分けをするように、行政は政策誘導していくべきだと考えています。
 施設整備が完了した時点で、(仮)横須賀市近代史資料館を観音崎から移し、リニューアル・オープンします。おそらく、この立地で企画内容さえきちんとすれば、現在の美術館と博物館の5倍は集める集客施設になると考えています。
 旧美術館は、民間転用を県が許せば民間に活用いただき、それがムリならば観音崎公園の一施設として一体的な運用が図れる内容に転用するほかないでしょう。いずれにしても、寿命が来たら撤去し、県に返還して自然を復元してもらえばいいでしょう。


 私は、中学校では成績優秀でしたが、近代史を義務教育できちんと学んだ記憶がありません。たぶん、進学試験に出ないからロクに教えてこなかったのだろうと思います。腫れ物に触るようにして近代史に向き合ってこなかったのは、日本の宿痾です。国も悪い。教師たちも悪い。おかげで日本中を、自国の近代史を知らないお花畑ウヨクとお花畑サヨクだらけにしてしまいました。自戒を込めて思います。ドイツが必死に近代史を教育し、向き合ってきたのとは対照的です。
 そのドイツでさえ、近年ではネオナチや極右政党に勢いが見られ、こんな『帰ってきたヒトラー』という映画まで公開される時代になってしまいました。ちなみに、悪い時代には良い映画がつくられるものなのか、映画自体は人生で5本の指に入る名作でした。


 「大和ミュージアム」には、この日本の近代に対峙しようという気迫を感じました。横須賀で(仮)軍港資料館を設置するならば、近代に真正面から向き合う心構えが問われると思います。そして、イデオロギーやセンチメンタリズムにとらわれることなく日本の近代史を描ける展示を制作できれば、きっと多くの国民が横須賀に足を運んで学んでくれると思います。
 そんなことを考えた視察でした。

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