【視察報告中編】盛岡市から見るとガラパゴス化MAXな横須賀のまちづくり

IMG_1921.JPG 2日目は、盛岡市です。盛岡市では、公共施設マネジメントの取り組みかたについてお話を伺いました。
 なぜ、このテーマなのか?
 横須賀市の公共施設マネジメントは迷走しています。
※写真は、送迎頂いたバスの車窓から遠くに見えた岩手山。

 横須賀の『施設配置適正化計画』は、日本のガラパゴスでした。こんな乱暴な計画もそうそうなくて、専門家からは「横須賀みたいな計画は失敗するから作っちゃダメだ」と悪い見本として知られ、あちこちの市町村の担当者間でも「横須賀のはヒドイらしいね」とウワサされている。研修や視察に行くたびに、そんな情報が入ってきます。恥ずかしい話です。市民のみなさんも信じたくないでしょうが、残念ながらそれが実態です。

 先日、同じ会派の角井議員が委員会視察に行った倉敷市の話を聞くと全然違います。以下、彼のBlogより引用。
 本市では、市が施設の廃止計画をつくり、市民に「説明」するという上意下達の方式ですが、倉敷市では、市民に市のおかれた財政状況を説明し、施設をどのように維持管理していくのか、統廃合するのかは市民が自ら決める方式をとっていました。
 大きな違いです。特に強調してはいませんでしたが、真の市民参加が実践されています。本市では、市民の意見は全く聞かずに計画がつくられ、後日に意見を聞くというのみです。同じ事業を進めるにも、市長の考え方でこれ程までも変わるものかと感じずにはいられませんでした。

 聞くところによると、角井議員が驚いていたら「えっ!? 別にたいしたことしてませんけど。施設は市民のものですから、ごく当たり前のことですよ」というような雰囲気だったそうです。どこかの市のように「市民が主役のまちづくり」と声高に言わなくても、住民自治を大事にする意識が根付いているということです。

 どこかの市は「地域運営協議会」とか「市長の車座会議」とか、見せ方だけは巧みに「市民が主役のまちづくり」を演出していて、実態を知らない人が見れば住民自治に力を入れているのかと勘違いしてしまう。でも、まがい物です。実がない。ニセモノ市民派、ニセモノ改革派、ニセモノ地域主権。前から、そんな匂いは少し感じていましたが、今回の『施設配置適正化計画』のゴーインMy Wayな作り方を見て、確信に変わりました。

 長野県飯田市も、合併をしてきた経緯から旧町村ごとの地域自治区があり、住民自治が文化として根付いているようです。そんなまちだから、市で計画をつくってしまうなんて「怖くてできない」「そんなことしたらまとまるはずがない」と、市の担当者はそもそも住民に決めて頂く以外の選択肢は考えなかったという伝聞が聞こえてきます。
 静岡県牧之原市も、市長が命じて職員をファシリテーターとして養成させ、住民の中に送り込んで、盛んにワークショップなどをしながら住民の声を引き出し、市長自身もそこに参加して耳を傾け、合意形成をしているようです。これまでは、「津波災害への対策をどうするか」という喫緊のテーマが中心だったものを、現在は「公共施設とまちづくりをどうするか」というテーマで進めているようです。こうした住民参加型のまちづくりの取り組みが先進的と評価され、マニフェスト大賞でもグランプリを受賞しています。
 これら市民が目覚めているまちで、横須賀みたいな「上から目線」計画なんか作ったら、たぶん住民からリコールとか行政差し止め訴訟とか起きるでしょうね。

 一方横須賀では、市長も「まあ、横須賀市ではそんなことは起きないだろう」と思っている。はっきり言って、横須賀市民は市役所から完全にナメられてます。
 でもそれは「横須賀市民はお役所依存心が強くて声を挙げないからだ」とばかりは言えないでしょうね。うちの市民は、Economist誌が指摘したいわゆる“Untaught People”(知らされてない人々)なんですよ。そんな計画が作られてしまったことも多くが知らない。そんな計画に独断でGoを出したのが市長だということも知らない。不満を持っても、「仕方ない」と諦めるしかないと思っている。撤回させることができるなんて思いもよらない。もっと言えば、自分たちが主権者でこのまちのオーナーだという自覚もない。市議会を動かして撤回させようということに想像が及ばない。

 誰がUntaught Peopleを生み出しているのか? 役所にも責任はあるし、義務教育の期間に公民教育をちゃんとやらなかったことが根本原因です。ただ、目先の問題としては、メディアと議会が責任を果たしてないんですね。
 役所も住民をナメてて、マトモに伝える気がない。メディアも地域行政に紙幅を割く余裕がないし、新聞・TVを見る人は減っている。だったら、議会が広報予算をバンバン組んででも、伝えなきゃいけないんだと思います。議会費の削減とか言ってる場合じゃない。ガンガン伝えて住民に現状を知らせていかないと、住民は役所の食い物にされるだけだし、議会も存在意義を問われて議会不要論が巻き起こる。まず目覚めなきゃいけないのは議会なんだろうな。


 さて、前置きが長くなりました。盛岡市です。
 盛岡市は、特に目新しいことをしているわけではありません。しかし、横須賀が普通に参考にして真似できる実直な市民参加による合意形成の手続きを、策定前の案の段階から行っていました。
●「考えよう!みんなの建物の未来」と題した市民討議会
●シンポジウム
●市内が30か所の地域に分かれており、その全箇所での市民意見交換会
●今後控えるパブリックコメント

 考えてみれば、いずれも、ごく当たり前のことであり、民主主義の本来の姿です。なぜ、横須賀ではできなかったのか?

 この件については、2015年11月の一般質問でも市長に直接問いかけました。
 しかし、市長は、『施設配置適正化計画』を見直す気はないと言う。ただし、今後の分野別の適正化計画の策定にあたっては丁寧な合意形成に努めるとのこと。
 とはいえ、望み薄です。この市長に期待しても仕方ない。なぜなら市長は「施設配置適正化計画の策定にあたっても丁寧な合意形成に努めてきたと考えている」旨の答えだったからです。ガラパゴス化MAXかつ上から目線で乱暴なゴーインMy Way的強行策定のクズ計画で胸をはっているニセモノ「市民が主役のまちづくり」。

 この「市長が主役のまちづくり」を止めるのは誰か?
 このまちの経営を、株主である住民の手に取り戻すのは誰か?
 自分たちの胸に問いかけなければいけない、と思いを新たにしました。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック