山城保男議員の訃報に際して

p-yamashiro-yasuo.jpg 山城保男さんが、本日お亡くなりになったそうです。68歳でした。
 なかなか信じられずにいます。つい昨日の午後も「議員有志で市民の声を聞く会」という催しで一緒でした。


 生意気な言い方をお許し頂ければ、山城議員は「戦友」でした。横須賀市議会の同期として、一期目は同じ無会派として机を並べて仕事をしてきました。歳は親子ほども違いますが気さくに接して下さって、ときにはかばって下さり、ときには改革を焦る私の手綱を引いて下さりました。

 電力調達の見直しも、山城さんの発案で一緒に調査し、分担して議会質問もして、実現させました。ご自分では決して実績を誇りませんでしたが、年間5000万円近い歳出削減となり、自分の報酬の何倍分もの仕事をした方です。
 「市民の声を聞く会」も、前期は山城さんと2人で試行錯誤して積み上げてきました。その結果が、2014年のマニフェスト大賞での授賞となりました。今では5人のメンバーに増えたところでした。
 空母問題についても、山城さんは空母反対、私は条件付容認、という立場の違いはあれど「安全対策は必要」との思いで市民のみなさんと一緒に運動を作ってきました。以前報じられた空母に関する意識調査も、山城さんが拠出した政務調査費が元手になって実現したものです。


 そして、山城さんは、おそらく最も新聞で活動が報じられた市議だったでしょう。ライフワークだった原子力艦の問題を、粘り強く議会で取り上げてきました。そう、一昨日の11/27にも、まさに横須賀市議会の壇上に立ち、その質問が翌朝報じられていました。横須賀の市議として本質的な仕事をされてきたことの証左だと私は考えています。


 昨日の「議員有志で市民の声を聞く会」での閉会の挨拶が、私にとっては山城さんの遺言となりました。記録しておかなかったことが今となれば悔やまれます。
 「市民がよく知らないうちに、市役所がどんどん決めてしまうような市政はおかしい。市民と議員が力を合わせて、みんなで変えていこう。一人ひとりから、一つひとつずつ、変えていこう」ということをおっしゃっていたと記憶しています。
 私は横須賀市議会の全員でこの遺志を受け継いでいけたらと考えています。私は、受け継ぎます。

 山城さん。横須賀市民のためを思って、いい仕事を積み上げて下さり、本当におつかれさまでした。天上で、好きだった日本酒を傾けながら、ゆっくりお休みください。
 ありがとうございました。

この記事へのコメント

  • 新倉裕史

    小林さま
    山城さんの記事ありがとうございます。
    本当に残念です。そして、困っています。
    明日お通夜と聞きましたが、
    予定通り、お話ができればと思います。
    よろしくお願いいたします。
    2015年11月30日 09:04

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