2017年08月18日

【会派視察報告:後編】宿泊してもらうにはどうするか〜小樽市〜

IMG_3248.JPG※写真は出抜小路展望台から望む運河と倉庫群
 視察3日目は、小樽市を訪問し、観光基本計画についてお話を伺った。
 同じような課題を抱えてきたまちの先進事例として、効果のあった取り組み・なかった取り組み、創意工夫などを学ぼうというのが狙いだ。本市に読み替えて活かしやすいはずだからだ。
 なお、横須賀市の観光のあり方については、過去記事「横須賀市はB級観光地から脱却せよ 〜サンセバスチャンを参考に〜」でも取り上げている。よろしければご覧頂きたい。

小樽市の概観
 小樽市は、北海道の首府・札幌の海の玄関として栄えた。かつては札幌より大きなまちだったが、1964年の人口約21万人をピークに衰退し、現在では人口約12万人。
 一方、横須賀市は日本の産業革命の中心地として興り、その後は軍都として栄えた。日本のマザー工場・横須賀製鉄所の開設当初は横浜よりも大きなまちだったが、1992年の約44万人をピークに衰退。2013年には人口減少ワースト1位にもなり、現在は人口約40万人。
 いずれも、かつての主力産業の衰退と人口減少に見舞われてきた港湾都市という共通点がある。

 ただし、かつて「斜陽都市」と呼ばれた小樽市は衰退時期が早かったこともあり、早くから観光へと舵を切った。運河散策路とガス灯を整備した1986年を「観光元年」と位置づけ、現在では年間791万人(2016年度)が訪れる観光都市となっている。一方の横須賀市も、実は872万人(2015年度)で、ほぼ同水準。意外に思われるかもしれないが、横須賀市も健闘している。
 とはいえ、本市の場合は出張などのビジネストリップも多いだろう。また、まちの規模も違う。人口1人当たりの観光客数は、小樽市が約66人で横須賀市が約22人。つまり、人口規模でならせば小樽市は横須賀市の3倍のお客さんを呼び込んでいるとも言える。

 ところで、これまで私は小樽に対して別にいいイメージも悪いイメージもなく、いわば関心を持つ必要がないまちだった。だが、小樽のイメージは非常に良いそうだ。地域ブランド調査2016でも、函館・京都・札幌に次ぐ4位で、5位以下の横浜・富良野・鎌倉・金沢・神戸よりも上位だ。小樽以外はうなづける順位だが、小樽については全くそんな認識を持っていなかったので意外だった。TVなどでよく取り上げられているのだろうか? 私が他人と行動様式が大きく異なるのはTVを観ないことぐらいなので、TVをまず疑ってしまう。ちなみに、同ランキングで横須賀市は51位で、例年その辺りだ。
 この小樽の主要な観光資源は、食と景観だ。北一ガラスという一帯にある、運河と倉庫群などの歴史的建造物が人気であり、豊富な海産物を背景とした寿司のまちとしても知られるようだ。最近では、小樽のイメージの良さを狙って小樽で創業したLeTAO(小樽の逆読み)という洋菓子チェーンの売上も良いらしい。

 より立体的に小樽を理解するために、関東に無理矢理に引き付けてたとえれば、東京に対する横浜みたいな感じだろうか。日帰り観光にちょうど良いまち。
 大都市圏の札幌市から電車で30分の港町であり、海なし札幌から最も近い海だ。中をリノベーションされた古い倉庫群は、横浜の赤レンガに相当するだろう。「ちょっと中華街でおいしいものを」という感覚で、「ちょっと小樽でおいしい寿司を」食べに行ける。ついでに小洒落た店が建ち並ぶ北一ガラス地区で買い物をする感覚は、横浜の元町が近いだろうか。横浜のように、湾内クルーズ船にも乗ることができる。
 ただし、規模感は全然違う。横浜市は373万人都市。対する小樽市は12万人都市。

泊まってもらえないまち、小樽市と横須賀市
 このせいもあり、宿泊需要は全然違う。
 小樽に旅行に行くとして、小樽に泊まるだろうか? 札幌まで電車で30分である。飲み歩くにしろ、音楽ライヴや観劇にしろ、ナイトライフの充実度は比較にならない。札幌を選ぶ人が多いだろう。
 この点、先ほどたとえに用いた横浜市はまるで違う。日本最大の人口373万人を背景とした文化風俗の集積がある。ナイトライフの充実ぶりは東京に負けず劣らない。野毛で飲み歩くも良し、ジャズの生演奏や観劇もあり、夜景が自慢の横浜港をナイトクルーズしてもいい。また、神奈川県の県都として、ビジネストリップも多い。

 観光において、宿泊は非常に重要な要素だ。なにしろ、落とすお金がヒトケタ変わってくるのである。神奈川県観光客消費動向等調査によると、三浦半島(鎌倉地区以外)の宿泊客平均消費単価が22,007円であるのに対し、日帰り客平均消費単価は4,190円だという。実に5倍以上の開きだ。
 さらに横須賀市統計書の、「(124)延べ観光客数および消費額(推計)」2015年度の数字を見てみよう。横須賀市内の延宿泊客数は34万人で、日帰り客数は849万人だ。つまり、宿泊客数は観光客全体の4%に満たない。
 しかし、これを金額で見ると違う景色が見える。観光客宿泊費が約27億円、飲食費が13億円、その他消費額が8億円。割合で見ると、観光客消費額の全体48億円の56%が宿泊費であり、飲食費が27%、その他消費額が17%となる。滞在時間に応じて落とすお金は増えると言われており、宿泊客は飲食費やその他消費額の何割かも消費している。宿泊客1人あたりの宿泊額は7937円。これを神奈川県調査の22,007円と比べれば、宿泊以外の消費もある程度は類推できる。つまり、全体の4%に過ぎない宿泊客が、金額では7〜8割のお金を落としていると想定される。

 日本有数の日帰り観光地・鎌倉市は年間約2300万人を集める。だが、いかんせん首都圏からも横浜からも近く、泊まってもらえない。そもそも宿泊施設も少ない。そうすると、住民にとって観光客の存在は、メリット少なくデメリットばかりの「観光公害」でしかなくなる。生活の足となる江ノ電には乗れなくなり、道路にハミ出して邪魔だし、海岸では酔って騒ぎ殺傷事件を起こす輩まで出た。
 そのあたりは、もはやカネの問題ではない。一方で、産業としては金も問題である。
 そして、我が横須賀市も、横浜市に宿泊需要を吸い上げられているほか、そもそも宿泊ニーズを創出できていない。
IMG_3244.JPG※写真は、夜の運河と倉庫群

 さて、小樽市の宿泊客の状況はどうか?
 年間約791万人の観光入込客数のうち、宿泊客は約74万人で、全体の9%となる。つまり、横須賀市の2倍の水準で、泊まってもらえているということだ。「北海道全体が中国・韓国からの観光客が多いから、その分、横須賀よりも恵まれてるんじゃないの?」などと思ったのだが、そんなことではない。宿泊客74万人のうち、外国人は19万人に過ぎないという。つまり、大半は国内の方々だ。市内には約50宿泊施設に4,200室程度の容量があるという。
 ちなみに、北海道内から512万人(65%)、県外(道外)から279万人(35%)とのこと。まだまだ伸びしろはありそうだ。

小樽市の観光の打ち手
 そんな、魅力的なイメージづくりに成功し、横須賀の2倍以上の宿泊客を集める小樽市が、具体的にどんな取組をしているのか? 伺ったもののうち印象的だったものを紹介したい。

●小樽雪あかりの路
 運河散策路と倉庫群、そして運河の水上にまで、ロウソクの灯りを燈す企画。フォトジェニックで、行きたくなる。何よりも、夜しか見られないことも重要な点ではないかと個人的には思った。つまり、宿泊しないとゆっくり楽しめないわけだ。

●小樽運河クルーズ
 2012年より運航開始し、人気が高まっているという。特に、観光協会のポスターでも夜景を見る運河クルーズの写真をイチオシで使っていた。これも、先に述べた論理で、宿泊につながる。戦術としては正しいのではないか。

●小樽ショートフィルムセッション
 とりわけ海外での小樽のイメージ向上に大いに貢献したのが、小樽を舞台にした1995年の映画「Love Letter」だったという。これを受けてか、小樽を舞台に短編映画を製作してもらう企画。映画は、イメージ向上に役立つツールなのかもしれない。
IMG_3246.JPG
●「ユニーク・ヴェニュー」の開発
 ユニーク・ヴェニューとは、美術館でのバーティや、歴史的建造物等でのレセプションなど、特別な場所でのイベントを指す。小樽市では、旧銀行の洋館やニシン御殿で知られる豪商の元邸宅などで実績があるとのこと。とりわけ、企業などに人気があるという。そういえば、知人がルーブル美術館かどこかで学会のレセプションがあったときのことを嬉々として語っていたが、付加価値が高く単価も取れるだろう。
※写真は、旧日銀の金融資料館。このテの歴史的建造物がゴロゴロある。関東大震災と開発圧力で多くを失った横須賀市との大きな違い。

●小樽kawaiiティーパーティー
 元パンクロッカーの私にとって、どちらかというと苦手な耽美系・グラム系・ゴスロリ系の企画。ところが、集客や宣伝効果という面では馬鹿にできない効果があるとのこと。
image2.JPG
●6か国語展開の観光地図
 普通のまちの感覚であれば、日本語の他に、来訪者の多い中国語と、外国人一般用で英語、この3か国語ぐらいを用意するだろう。しかし、小樽では中国大陸系の簡体字、台湾系の繁体字、韓国語、英語に加え、タイ語でも展開。かつて、バスクのサンセバスチャンに行った時、日本語のガイドブックが用意されていて驚いたが、やはりうれしいものだ。ちなみに、小樽のインバウンド元は、中国、韓国、香港、台湾、タイ、シンガポール、マレーシア、米国……といった順らしい。なるほど。

 以上で、小樽市の視察報告を終える。

 横須賀市に、何を採り入れるべきか? 何を活かすべきか? それは今後、会派や議会の中で、また「よこすか未来会議」などの中で議論して考えていくことになるため、この視察報告の中で限定はしない。ただし、今回も非常に得るものの多い視察だった。以上で、今回の会派視察報告を終える。
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2017年08月17日

【会派視察報告:中編】比べれば横須賀市の病理が見える学童クラブ〜苫小牧市〜

 視察2日目は、苫小牧市を訪問し、学童クラブについてお話を伺った。

 この学童クラブのあり方については、すでに大田区鹿児島市、横浜市に伺って本市と比較をしている。
 ただし、どこと比べても、何度考えても、結論は同じだ。
 ハッキリ言って横須賀市は、異常である。

「子どもが主役になれるまち」の不都合な真実
 異常だと言うのは、大きく2点ある。
(1)保育料が高すぎる
(2)行政が関与しなさすぎる

 そして、この異常さは、同じ根っこから出ている。つまり、「子どもを第一に考えない」ことである。子どもの安全よりも……
●市の歳出抑制を優先する。
●子どもを遠くまで歩かせ、教師らの「教室は使わせないぞ」エゴを優先する。
●既存事業者への影響が出ないことを優先する。
●学力向上という、政治家や教師が評価されやすい「成果」を優先する。

 つまり、子どもは二の次なのだ。こんなことだから、「子どもが主役になれるまち」とかいうキラーフレーズなるものが欺瞞だと見透かされて出生数が増えないのだ。
 子どもを第一に考えるならば、カネならなんとかやりくりすればいいはずだ。
 「学校は教師のものじゃない。子どもたちのための施設だぞ」と押し切れるはずだ。
 事業者も営利で始めたわけではないので、子どものための選択は受け入れるはずだ。
 そして、大人の都合で成績を上げさせることよりも、豊かな感受性を育むために様々な体験の機会を提供することのほうが大事なはずだ。

苫小牧と比べてわかる横須賀市の異常さ

 苫小牧市ではどうなっているのか?

●24小学校のうち、2校を除く22校に35クラブを公設で展開している。うち1クラブが民営であり、その他は公営である。その他、民設民営の2クラブが市内にはある。横須賀市は全て民設民営である。

●公設35クラブのうち、23クラブが学校内、8クラブが学校敷地内の別棟。4クラブのみ学校外の児童センター内となっている。とはいっても、横須賀市のように1km近く歩かせるなどということはない。

●利用料金は、これまで視察してきた中で最低の月額2,500円。他におやつ代が1,000円かかるが、それでも本市の17,000円前後から比べれば圧倒的に安い。受益者負担割合は1/8程度だという。なお、生活保護や就学援助世帯は無料となる。

●苫小牧市の小学生約8,800名のうち、1,285名が利用する。利用率約15%である。高学年になるほど利用しないため、本当に必要な低学年の利用率はもっと高いだろう。若干の待機児童は発生するようだが、例年1〜2か月で定員を増やして解消させてており、基本的にはニーズに見合った利用者数だと言えそうだ。
 一方、横須賀市は小学生約17,000名のうち1,555人しか利用せず、利用率7.5%だ。失礼な言い方だが、横須賀市よりものんびりした田舎の街で2倍の利用率などということは、ありえない。横須賀市は少なくとも今の3倍、20%程度のニーズがあるだろう。つまり、横須賀市では高すぎる保育料のために預けられない人がそれだけ多いということを意味している。

●学童クラブ1か所あたり平均で年間850万円弱を投入している。この額の92%が人件費とのことで、1施設あたり基本的に3名(一部2名のところもある)の嘱託職員を配置とのことであり、ならすと年収290万円前後ではないかとのこと。決していい待遇ではない。しかし、本市が1施設あたり平均で年間480万円の補助(2014年度の数字で、現在ではもっと増えているハズ)をしていることから比べれば、全体の額はそんなに多いわけではない。カネをケチって、保育料が高く、利用率が苫小牧の半分、というのは経営の観点から見れば失敗と言っていいだろう。

●保育時間は18:30まで。それ以降の延長はない。横須賀市に比べると職住隣接の市民が多いようで、アンケート調査によればこの保育時間でほとんど問題ないようだ。

何度も言う。横須賀市は公設公営で学童クラブを整備せよ
 以上を受けての、横須賀市への提言は従来とあまり変わらない。「横須賀市は公設公営で学童クラブを整備すべきだ」ということだ。

 苫小牧市で明らかになったのは、「今や公設公営は安い」という事実だ。あまりいいことではないが、低待遇でも行政特有の安心感があって、公営なら人を集めやすい。そうすると、下手に民間委託をするよりも安くなるケースも多い、という学識者の説もうなづける。
 苫小牧市でも人材確保には苦慮しているようだが、全員に「保育士/社会福祉士/教諭資格保持者/児童福祉事業2年以上従事のいずれか」という高い条件を課しているためもあろう。有資格者を、各学童クラブに3名ではなく1名ずつの配置とし、その他2名は資格を問わないようにして有資格者の待遇を高くすれば、本市でも同水準の費用で公設公営で展開できるのではないか。

 なおかつ、本市の場合は延長18:30ではニーズに応えられない。おそらく19:30までの保育を必要とする家庭も少なくないだろう。そうすると、時間帯を3段階に分ける必要があるのではないか。
●〜17:00 無料+おやつ1,000円の全児童対策
●〜18:30 月額5,000円+おやつ1,000円の学童保育
●〜19:30 延長料金月額+3,000円の延長保育
 この3段階の料金体系で、学校内で横浜型の全児童&学童保育を複合した放課後児童クラブを展開することが、子どもを第一に考えた手法なのではないかと考える。

 もちろん、「子どもを第一に考えるなら、親はもっと早く帰って子どもと向き合わなきゃダメ」という声もあるだろう。その主張は正しすぎるぐらい正しい。だが、現実の前には無力だ。現実として目の前で起こっていることは、低所得の家庭の子どもほど学童クラブに預けられずに、保護のないままリスクの高い放課後の時間を過ごしているという事実だ。理想論では解消できない問題が現実社会では起こっている以上、まずは目の前の子どものためによりよい環境を提供することが政策決定者の務めだと考える。

 以上で、苫小牧市の視察報告を終える。
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2017年08月16日

【会派視察報告:前編】ティボディエ邸は再建すべきか?〜日本製鋼所室蘭〜

北海道文化資源データベースより引用.jpg写真:瑞泉閣の外観(北海道文化資源データベースより引用)
 7/11〜13の3日間の日程で、会派視察に行ってきた。
 ところで、なぜ、会派視察をするのか?

 我々、会派研政は、毎年「政策提言」(旧・予算要望)を作成し、市役所に提言をしている。これを作り上げるにあたっては、PDCAサイクルをまわしている。思いつきで作って、出したらハイ終わり、ではない。視察は、これに必要なのだ。
1)各議員で市民の声を聴く
   ↓
2)市民要望に応える政策を立案する
   ↓
3)先進事例・他市事例や研修会聴講などで下調べする
   ↓
4)会派内で議論して政策を練り上げる
   ↓
5)「政策提言」案を作成する
   ↓
6)「市民と議員のよこすか未来会議」で案への意見を聴く
   ↓
7)会派内で議論して修正する
   ↓
8)「政策提言」完成版を市に提出する
   ↓
9)「政策提言」の実現に向け、議会質問で引き出す
   ↓
10)年度が終わって、政策の実現状況を評価する
   ↓
11)「市民と議員のよこすか未来会議」で進捗を報告する
   ↓
12)最初に戻る

 ざっと、このような過程で仕事している。この3)の一環として会派視察を行っている。


 さて今回は、室蘭の瑞泉閣(日本製鋼所内)、苫小牧の学童クラブ、小樽の観光について視察に訪れた。
 まず、初日7/11の瑞泉閣について。

 室蘭といえば、横須賀と同じく「基地」が先にでき、そこにまちが栄えた所だ。かつて世界の4大民間兵器工場と言われた日本製鋼所である。
 正確に言えば、いずれも出自は「基地」ではなく、工場である。横須賀も「横須賀製鉄所」として拓かれた。しかし、いずれにしても軍需・国策の色彩は濃い。
 そんな日本製鋼所であるから、大正天皇が皇太子時代にいらっしゃったことがある。その際、1911年に日本製鋼所が建てた建物が瑞泉閣だ。
 横須賀市と同じような背景を持つまちの歴史的建造物の保存・活用の一例。そんな意図で瑞泉閣を視察した。とりわけ主眼に置いていたのは、ティボディエ邸の再建のあり方の参考とすることだ。ティボディエ邸については、横須賀市の最高意思決定機関である議会が、再建することを決定している(2012年12月の請願採択、加えて2014年12月の特別委員会最終報告)。

 結論から言えば、ティボディエ邸と瑞泉閣は全く違った。「じゃあ、参考にならなかったのか?」といえば、見て会派内で議論する中で多いに参考になった。

視察による気づき
 瑞泉閣の視察によって得られた視点は次の通りだ。
●「当時のまま」の価値の差
 瑞泉閣は、約100年前の建設当時からの本物が現存している。ゆえに価値が高い。一方、ティボディエ邸は米軍による改変に次ぐ改変が加えられ、当時のままの部材は柱ほか一部しか残っていない。なおかつ、元々建っていた場所が米軍に今なお「占領」されているため、他のどこに建てようが意義も納得感も薄い。
●財源的な裏付けの差
 瑞泉閣には「パトロン」がいる。日本製鋼所が、一般公開もほとんどせずに、海外からの来客などをもてなす場所として今なお活用している。そのため、落書きやいたずらなどもほぼなく、逐次修繕が行われ、保存状態もいい。所有者が一貫して代わらなかったことが幸いした。一方、ティボディエ邸の「パトロン」になり得るのは横須賀市だけだろう。しかも、保存状態も悪く、すでに価値は毀損してしまっている。そのため、観光集客などの付加価値の高い活用は見込めない。持ち出しばかりの多い「パトロン」となるだろう。
●付随する物語性の差
 瑞泉閣よりも、ティボディエ邸のほうが、建物としての純粋な価値はおそらく高かったであろう。しかし、その価値は改変により既に失われた。加えて言うならば、物語性(ストーリー・リッチ度)で見たときの価値も劣る。瑞泉閣には、後の大正天皇が滞在され、昭和天皇も訪問。明治の元勲クラスや数々の海軍高級将官らも足を運んでおり、その遺品も残っている。一方、ティボディエ邸に住んでいたのは、横須賀製鉄所の長官だったヴェルニーではなく、副官のティボディエである。歴史に足跡を残した高官らも足を運んだのかもしれないが、その足跡は知られていない。唯一、富岡製糸場と建築様式が共通するという物語はある。ただし、富岡製糸場のモデルとなったオリジナルである製綱所も横須賀製鉄所にあったとはいえ、ティボディエ邸のほうが富岡製糸場より若干古いとはいえ、富岡製糸場が現存している以上、ティボディエ邸を忠実に復元したところで優位性はない。

本市に活かせる洞察
 上記を踏まえた、横須賀市に還元可能な洞察は次の通りだ。
●ティボディエ邸は部分復元すべき
 そうは言っても、過去の経緯と議会の意向(市民の意向)を踏まえれば、再建しないわけにはいかない。そして、検討委員会が示したように、再建方法にはいくつかある。

・A案 文化財として極力完全な復元
 (保存部材を最大限活用し、内部・外部とも忠実に復元、費用約 3.3 億円)
・B案 一部復元・資料館として利用
 (保存部材を最大限活用し、外部は忠実に復元、内部は一部の復元、費用約 2.9 億円)
C案 資料館として復元
 (保存部材を一部使用し、現代工法で模造復元、費用約 1.1 億円)

 このうち、A案はコストがかかる。B案は中途半端だ。では、C案だろうか? いや。C案のように、全体を復元する必要が果たしてあるのだろうか? 富岡製糸場と同じオリジナルを元にした建築で、なおかつ、もっと古いことが視覚的にきちんと伝えられれば用は足りるのだ。
 ついては、D案を提案したい。博物館の更新時に歴史資料館を建設し、その展示の一部としてティボディエ邸を組み込むのが良いのではないか。それまでは、部材は引き続き保管すればいいだろう。

●ドライドックこそ価値がある
 富岡製糸場と同様に、というよりそれ以上の歴史を持って、動態保存されて現存する歴史的建造物が本市にはある。ドライドック群だ。
 とりわけ、米軍に「占領」された基地内となってしまっている1〜3号ドックは、日本の近代化の鍬入れの地である。近代日本はここから始まったのだ。
 しかも、現在、米軍による1〜3号ドックの使用頻度は低いという。大型艦船が入る4〜6号ドックが中心であり、1〜3号は今ではもっぱら海上自衛隊の小さめの艦船の修理のみだという。
 これを一般向けに展示すべきだ。
 観覧者がドック以外の場所に立ち入らない設備と、ドックに落ちない柵などのコース整備。これさえできれば、返還にはこだわるべきではない。1〜3号ドックの所管が国であろうが、市に移ろうが、米軍に「占領」されたままだろうが、当面は問わない。そういった建前よりも、一般公開という実利を、まずは重視すべきだ。
 他にも、浦賀には世界に4ヶ所しか現存していないと言われるレンガ積みドライドックの浦賀ドックに加え、川間ドックが現存しており、これも価値が高い。ただし、民間企業の所有となってしまっており、公開するもしないも、先方の胸先三寸である。
 一方、横須賀の1〜3号ドックは、施設管理権こそ米軍にあるが、所有はあくまでも国のはずでである。交渉による打開の可能性は大いにあり得る。
 議長や市長による交渉ができないものか、今後、探ってみたい。
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 なお、写真は、日本製鋼所内の赤レンガ倉庫。現役で使用しているという。
 以上で、瑞泉閣の視察報告を終える。
posted by 小林のぶゆき at 15:23| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月15日

「敗戦」記念日に。〜横須賀市民は核廃絶を宣言していた〜

 72年前の今日、日本は敗戦した。
 多くの人が忘れているが、この国は敗戦国である。現在も敗戦の名残を引きずり、国連軍を名目とした米軍の統制下にある。しかも、米国が宗主国なのではなく、国ではない米軍に統制されていることを改めて思い起こし、本当の意味での「美しい国」「日本を取り戻す」決意を新たにしたい。

 さて、先日の記事で、横須賀市議会が「核兵器廃絶に関する決議」を出していたことにふれた。
 ところで、よく「横須賀市は平和都市宣言をしている」「市長がようやく平和首長会議に加盟した」ということが言われるが、これはあくまでも役所のトップにしか過ぎない市長がやったことであり、正確には横須賀市民を代表するものではない。しかも、市長が勝手にこのようなものを出すわけにはいかない。

●1984年9月10日 横須賀市議会が「核兵器廃絶に関する決議」を全会一致で議決
 (自民党 竹折輝隆市議が提案者)
●1989年5月23日 「核兵器廃絶・平和都市宣言」を市長(横山和夫時代)名で宣言
●2016年5月 市長(吉田雄人時代)が平和首長会議に加盟

 その意味で、議会の決議には違う重みがある。議会こそが、住民代表である。横須賀市民の意思を体現するのは議会である。主権者は市民であっても、主権を行使するのは代理人である議員の合議体である議会なのだ。その議会が、しかも全会一致で決議を出した。一人の棄権や反対もなかったことで、この決議は右から左まで主義主張を超え「市民の総意」と見なされるに足る正統性を持った。市長名で出された平和都市宣言も、その本文でこの議会の決議を受けて出されたものであることを明記しているのは、そうでなければ正統性が担保されないためだろう。

 さて、紹介したものの、本文を読んだことがなかったので、過去の議事録から引っ張り出してみた。市政にとって歴史的な文書だと思うのだが、ネット上では見つけられなかったため、敗戦記念日に際してここに共有する。これによって、戦没者の御霊に対して悲惨な戦争を繰り返さないことの誓いに代えたい。
核兵器廃絶に関する決議
 世界の恒久平和は、人類共通の念願である。しかるに、こんにち世界共通で武力戦争が絶え間なく続き、際限のない軍備拡大は核軍縮の増強をも招来し、人間が互いの生命を尊重し、愛し合う、いわゆる互恵の精神が喪失されつつあり、人類の生存に深刻な脅威を与えている。
 横須賀市は、常にわが国の国是である、「持たず、つくらず、持ちこませず」の非核三原則が厳正に遵守されることを願ってきたが、更に全ての核兵器の廃絶と軍備の縮小を全世界に強く訴え、人類全てが愛し合える世界の創造に寄与するため、ここに核兵器廃絶平和都市となることを決議する。
1984年9月10日 横須賀市議会
posted by 小林のぶゆき at 23:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月12日

9/3(日)BBQ@野比海岸のお誘い

bbq_couple.png 私の後援会や友人のみなさんを招いてバーベキューをやります。ご都合が合えば、どうぞお運びください。
●日 時:2017/9/3(日)11:00〜14:00ごろ
●場 所:野比海岸・志も町内会館裏(YRP野比駅徒歩7分)
●集 合:現地集合(11:05にYRP野比駅集合でご案内もします)
●会 費:1,000円(子ども100円)
●申込み:食材準備の都合上、コチラまで参加表明ください
●持ち物:特になし(シートは敷きますが、イスは全員分ないので持参歓迎)
※小雨決行。日よけ雨よけのタープ有。荒天時は小林家で食材消化パーティ

 例年の、後援会夏祭りのように大掛かりな感じではなく、私がホストで、色々おいしいものを焼いていきますので、海を眺めながら、のんびり語らって頂けたらと思います。

 BBQ料理と生ビールサーバーとお茶だけ用意しますので、他に食べたいものや飲みたいものは持参ください。
駅前の京急ストアでも飲み物など売ってます。
 キスとスズキとチヌ釣りのポイントらしいので食材現地調達も大歓迎です。ただし、過去に友人がキスを網に並べてくれたことがあって喜ばれましたが、クサフグはお断りしています(笑)

 あと、ギターとアンプと打楽器も置いておくので、歌い手さん歓迎です。
posted by 小林のぶゆき at 16:31| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月10日

町村総会は、憲法違反?

index_logo.png  高知県大川村の町村総会への移行問題が、我々の業界では静かなブームとなっている。
 →「村議会を廃止、「町村総会」設置検討を開始」(毎日新聞2017年5月1日)

 ところで、同僚議員が「憲法で市町村には議会を置くことが決められているのに、地方自治法で町村総会を認めるのは、オカシイんじゃないの?」という鋭い問いを発して、「ホントだ。なぜなんだろう?」とずっと気になっていた。念のため原文を引用しておく。

日本国憲法
第九十三条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
地方自治法
第八十九条  普通地方公共団体に議会を置く。
第九十四条  町村は、条例で、第八十九条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる。
第九十五条  前条の規定による町村総会に関しては、町村の議会に関する規定を準用する。


 今日、ふっと自分なりの答えが降ってきた。町村総会は憲法違反ではないのだ。
 論の立て方としては、2通りある。

(1)より民主度の高いものだから、憲法の意図を包含するため
 憲法の第八章・地方自治は、地方公共団体を住民の統治下に置くために設けられたと解することができる。この意図からすれば、代理人である議員を選んだうえでの間接民主主義より、有権者全員が参加できる直接民主主義のほうが、より正確に民意を反映できるし、議決の正統性が高い。つまり、民主度が高い。そうであれば、議会を置く場合よりもさらに、町村役場に住民がガバナンスを利かせることができる。これは、憲法の意図をより汲んでいるため、違反とは言えない。という解釈だ。

(2)町村総会も「議会」だから
 この論は乱暴だが、あえて論を立ててみる。
 地方自治法で「議会を置かず」と言っているのに、町村総会が「議会」なの? と言われると、確かに論理破綻しているとしか言いようがない。
 だが、「地方自治法九十四条に瑕疵がある」と見なして、「町村総会は全有権者が議員の議会である」と捉えれば、憲法と町村総会の間に矛盾はない。そう考えれば、地方自治法第九十五条で町村総会には議会に関する規定を準用するものとしているのもうなづける。

 以上、きちんと法律を学んだことがない私だし、今回は先行の研究や文献もあたってないが、書き出すことで整理ができて疑問は解消したので、このまま書き残しておきたい。
posted by 小林のぶゆき at 20:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

8/9におもう、ナガサキと戦争犯罪

 72年前の今日、長崎に原爆が落とされ、7〜8万人の非戦闘員が殺された。3日前のヒロシマと合わせて20万人以上だ。

 8/6の投稿でも同じだが、「亡くなった」のではない。「殺された」のだ。そして、8/15は「終戦」記念日ではない。「敗戦」の日だ。
 8/6の投稿ではっきりとは書きそびれたが、言葉の遣い方には、意味があるからこだわっている。

 日本軍も非戦闘員を多数殺害した。それは、言い訳のしようがない。規律を守れない軍人や守れない場面などもあった。巻き込まれた市民もいた。

 しかし、米軍の所業はどうだろう?
 はじめから、軍人や軍事施設だけではなく、都市そのものを狙った。非戦闘員を殺戮する目的で、軍事行動をした。
 これは、戦争犯罪ではないのか?

 加えて言えば、ナチスと何が違うのか?
 ナチスによるホロコーストは、民族浄化であり、最悪の戦争犯罪だ。
 一方、米国はあくまで共産主義を食い止めるため原爆が必要だった、と主張する。しかし、白色人種が多い国に原爆を落とした場合、戦争犯罪は問われていたのではないか? 猪瀬直樹が『黒船の時代』で描いていたように、下敷きがあって黄色人種への偏見が拭い難くあったのではないか?

 日米同盟も必要だろう。友好国ではあるだろう。
 しかし、言うべきことは言うべきじゃないのか?
 米国は、戦争犯罪と言われたら不愉快だろう。しかし、過去の真実を突き付けて破綻するような信頼関係ならば、それまでの話ではないのか? その程度で、本当に対等の同盟関係が築けるのか?

 右も左も、戦後だらしがなかった。この国は、いつまで植民地であり続けるのか? 自国の戦争責任に向き合うのと同じ熱量で、他国の戦争責任も指弾すべきだ。

 無辜の市民が、大量殺戮(ジェノサイド)に遭った。しかし、加害者たる米国は謝罪一つしていないにもかかわらず、わが祖国は殺戮国と仲良くしている。それどころか、朝貢外交よろしく言いなりとなっている。このまま、戦争犯罪を曖昧にしてしまっては、ナガサキの人々も浮かばれないだろう。

 右も左も関係なく、歴史にきちんと向き合いながら、来週8月15日には、皆で「敗戦」を噛みしめたい。

posted by 小林のぶゆき at 20:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月06日

8/6におもう、ヒロシマとフクシマ

51TwPWAL++L._SX366_BO1,204,203,200_.jpg 72年前の今日、広島に原爆が落とされ、多くの国民が殺された。

 ちょうど、文化会館で中筋純『流転 The Silent Views 〜福島&チェルノブイリ〜』展が開催されているため、せっかくだから本日8/6に合わせて観に行ってきた。非常に見応えのある内容だった。明日16:00までなので、足を運ぶことをお勧めしたい。

 さて、そこでヒロシマとフクシマについて、思うことを書き連ねたい。
 改めて思うのは、「この国民は、忘れやすい国民だな」ということだ。

(1)ヒロシマについて
 我々が被爆国であることを、どれだけ認識しているのかと思う。7/8の「核兵器禁止条約」の交渉会議の話だ。

 日本国民は、核廃絶の意思を示している。2009年6月16日には衆議院で翌17日には参議院で、ほぼ同趣旨の「核兵器廃絶に向けた取り組みの強化を求める決議」を議決している。しかも、いずれも全会一致である。その後、否定する決議等はないはずだから、つまりこの内容は国民の総意であるはずだ。
 ちなみに、神奈川県民も1984年7月5日に神奈川県議会が「神奈川非核兵器県宣言」を議決しており、横須賀市民も同年9月10日に横須賀市議会が「核兵器廃絶に関する決議書」を全会一致で可決している。

 ところで、先日の「核兵器禁止条約」交渉会議での態度はどうか? 国連加盟国193か国のうち、122か国が採択したこの条約。だが、世界最大の被爆国である日本は会議を欠席したのだ。米国の「核の傘」に入っていることが理由と見られている。
 1945年の敗戦時、主権は国民にはなかった。だからこそ、戦争責任は直接は指導層にあり、その責任が問われ、国民の責任は問われなかった。ところで、現在は主権は国民にある。だからこそ、今回の会議を欠席したのは、国民の意志であると言える。この政府の態度は、国民の意思を本当に代表していると言えるだろうか?

 「核の傘」主義をとるならば、北朝鮮が「核の傘」を持とうとする姿勢を、日本が論理的に批判するには説得力が乏しい。こうした判断と行動をする政府を、主権者である我々は間接的に選択している。この国民にその自覚がどれだけあるだろうか?

(2)フクシマについて
 中筋純さんの写真展で最も印象的だったのは、帰還困難区域の双葉町と都会の渋谷を並べて比較した写真だ。
 「忘れゆくまち」としての大消費地
 「忘れられゆくまち」としての被曝地
 改めて、考えさせられた。

 原発を推進したのは、誰か?
 「正力松太郎が……」とか「田中角栄が……」とか、キーマンは何人もいただろう。裏には「宗主国」である米国の意向もあったかもしれない。しかし、いずれにしても、戦後の話である。日本国憲法が公布され、国民主権になった後の話だ。
 つまり、原発を日本全国に54基もつくったのは、主権者たる国民の選択である。

 つまり、フクシマの原発事故を起こした最終的な責任は主権者である我々にある。もちろん、第一義的な責任は事業者である東京電力にあり、賠償責任は株主と債権者がまず負うべきであるが、事業承認や監督は国民が雇った政府が行っており、最終責任は我々国民にある。

 被曝者がいるところには、加曝者がいる。
 そして、そのカバクシャは我々、日本国民である。ところで、この国民にはどれだけの自覚があるのだろうか?
 なおかつ、東京電力から電力供給を受けていた私たち関東圏の人間は、消費者という意味でもカバクシャである。自分も含めたこの消費者たちは、どれだけの自覚があるだろうか?

 加えて言えば、我々はヒバクシャでもある。フクシマの原発事故で放出された放射能の大半は、実は福島県外に降り注いだ。多くは太平洋に撒き散らされ、世界中を循環している。しかも、今なお放出は止んでいない。私たちは今も被曝をし続けており、自分たちも程度の差はあれヒバクシャである。そのことの自覚が、この国民にどれだけあるだろうか?

(3)ヒロシマとフクシマの「根っこ」について
 結局のところ、ヒロシマに対する国民の態度が、フクシマを生んだと言っていい。「根っこ」は同じだ。

 水が流れるように、過去を忘れていく日本人。そして、雨のように上から降ってくるものに、唯々諾々と従う日本人。この国民が、言葉の本当の意味での「主権者」であったことが、歴史的に一度たりともあっただろうか?

 ヒロシマに続く8月15日の敗戦を「終戦」と言い換えた国民は、フクシマによる国土喪失と国民の流亡という「第二の敗戦」を避けられなかった。そして、その「第二の敗戦」すら反省しきれずに、現在の危機を迎えている。そして、現在の危機を、危機とも感じていない。このままでは、おそらく「第三の敗戦」が待ち構えているだろう。

 とはいえ、我々は、傍観者でいるわけにはいかない。お上が決めてくれるお気楽な封建社会は江戸時代で終わったはずだ。何のために、明治維新から太平洋戦争まで近代史において多大な犠牲を払ってきたのか?
 今こそ主権者に「なる」のだ。

 来週、8月15日には「敗戦記念日」をみんなで迎えたい。
posted by 小林のぶゆき at 23:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする