2013年07月30日

市立病院の人間ドック料金、「議員特権」で2割引き!!!

※本件記事については事実誤認があり、訂正記事を書いていますので、そちらも併せてご覧いただけますようお願いいたします。申し訳ありません。
 →「市立病院人間ドック料金を「議員特権」と報じた件の訂正記事」

dock.png 今日、役所で市立市民病院の人間ドックのチラシをもらいました。すると、そこには
「市議会議員・ご家族様ドック特別料金 45,000円→37,000円」
の文字が! 約2割引きです。みなさん、どう思いますか?

 もっとも、市民病院と提携している企業の健康保険組合などにも割引はあるようなのですが、せいぜい45,000円→40,000円位とのこと。なぜ、市議会議員だけ特別に安くしなければならないのか? 健保組合の場合は、「まとまった人数で申し込んでくれるから安くします」という「まとめ買い割引」も理解できます。しかし、市議会議員の場合、たかだか41人しかおらず、しかも年々、申し込む議員は減っているそうです。ボリューム・ディスカウントでは説明がつきません。

 こうした「議員特権」は、かつてに比べると減っているそうです。議員年金も廃止されました。花火大会で議員席が設けられることもありません。今の吉田市長が議員時代に提案したおかげだそうですが、議員に無料でお弁当が振る舞われることもなくなりました。
 とはいえ、今回の人間ドック料金や、過去記事「税金でパソコンの使い方まで教えてもらう議員って……」でも指摘したような、旧態依然とした特権がまだまだ残っているようです。

 「またもや小林伸行が、重箱の隅をつつくように、細かいことに目くじら立ててらぁ」と言われてしまうかもしれません。でも、これはパソコン研修46万円より金額は小さいものの、重たい問題をはらんでいます。
 どういうことか?
 市立市民病院は、かつて議会の判断で公設公営から公設民営へと移管しました。現在は、民間団体が運営しています。つまり、見ようによっては「市から民間へと仕事をまわしてもらった見返りに、便宜供与を受けているんじゃないのか?」と意地悪く見ることもできるのです。
 実際には、この民間団体が赤字の病院経営を引き受けてくださったという側面のほうが強いと思いますので、議員に便宜供与する理由もないですし、単に公設公営時代からの割引を継続しているだけだというのは、私も理解はしています。しかし、余計な詮索を生むようなことは止めたほうがいい。しかも、赤字を税金で補填している市民病院が、税金でメシを食べている議員に割引をするというのは、税金を払っている市民から見て納得がいくでしょうか?

 私の感覚、間違っているでしょうか? お気づきの点ありましたら、お寄せください。
 明日、この割引を廃止するよう、申し入れをする予定です。今後も、何か気づいた点があればご報告します。
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2013年07月25日

参院選得票数ランキング(三宅洋平ショック)への反響に対して(2)

proportional2013.png どうも、この問題は関心が高いようなので、前に書いた政党別の得票について表にしてみました。 →PDF

1)公明党の組織力と三宅洋平の突破力
 この表からまず見えてくるのは、個人名投票割合が公明党56%、緑の党47%と高いことです。
 公明党は自民党の半分以下の得票にもかかわらず、個人名得票数だけで見ると42万票と、自民党44万票に肩を並べます。恐るべき組織力です。
 一方、緑の党は全く別の理由です。緑の党の得票から三宅洋平氏の分をごっそり抜くと、個人名得票率は一気に14%まで下がります。つまり、緑の党にとっては三宅洋平効果が圧倒的だったということです。
 なお、維新の会はアントニオ猪木氏と中山恭子氏が個人名得票割合の全体を押し上げ18%となっていますが、この2人を除けば半減し、共産党やみんなの党と並んで、個人名の得票割合が低く、政党の力で当選していることがわかります。

2)「統一名簿」があれば1〜2議席を獲得
 もう一つ見えてくることは、重要政策で共通点のある生活の党、みどりの風、緑の党、新党大地が、もし「統一名簿」を掲げて戦っていれば、1〜2議席とれたということです。
 個人票の得票で見れば、まず緑の党の三宅洋平さんが当選し、加えて4党の統一名簿なら、新党大地の鈴木宗男さん、生活の党の山岡賢次さん、みどりの風の谷岡郁子さんのいずれかも当選できたかもしれません。
 票が分散した結果、比例配分ドント方式のマジックにより、その分の議席は自民党に行ってしまいました。

 国民が政策でわかりやすく投票先を選べるよう、そして危なっかしい「一強」状態を解消できるよう、政界再編に期待しています。

 なお、過去記事はこちらからどうぞ。
「参院選2013得票数ランキング」から見えてくるもの〜最多得票落選者、三宅洋平の衝撃〜
参院選得票数ランキング(三宅洋平ショック)への反響に対して
posted by 小林のぶゆき at 12:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月24日

参院選得票数ランキング(三宅洋平ショック)への反響に対して

rank2013.png 過去記事「参院選2013得票数ランキングから見えてくるもの〜最多得票落選者、三宅洋平の衝撃〜」に対しての反響が大きく、驚いています。当Blogへも普段の100倍近いアクセスがありましたが、これもネット選挙解禁によって政治への関心が高まっている表れでしょうか?

 さて今回、メールやFacebookなどで、様々な質問やご意見を頂きました。個別にお返事したものもありますが、せっかくなので主な内容をこの場でも共有したいと思います。
1.なぜ得票数の少ない人が当選して、三宅さんが落選するのか?
2.個人得票の多い人でも落選してしまう。
  そんな選挙制度はおかしいのではないか?
3.既得権団体がバックについた候補者ばかりが当選する。
  これは問題があるのではないか?
 以上、大きく3点について、お答えしたいと思います。

1.なぜ得票数の少ない人が当選して、三宅さんが落選するのか?
 ご存じのとおり参議院選挙には、県ごとの「選挙区」と、全国区の「比例区」があります。この全国「比例区」は、政党(や確認団体)ごとに、得た票に「比例」して議席が配分されます。今回は、緑の党の候補者と政党の得票が全体として少なかったから、三宅さんは落選したわけです。→制度について詳しくはコチラなど

 歴史に「もし」はありませんが、重要政策で共通点のある生活の党、みどりの風、緑の党、新党大地が、合流しないまでも一緒に「市民派大連合」とでもいった政治団体を作って「統一名簿」で戦っていれば、緑の党の三宅洋平さんに加えて、生活の党の山岡賢次さん・みどりの風の谷岡郁子さん・新党大地の鈴木宗男さんのいずれかも当選できた可能性が高いです。「統一名簿」に対しては「野合」との批判もありますが、自民党に派閥があるように「市民派大連合みどり派」とか「「市民派大連合生活派」という派閥があると考えれば似たようなものです。
 また、緑の党と新党大地は確認団体の要件を満たすために10人以上を擁立したわけですが、他の政党と組んでいれば候補者を2人程度に減らせたはずです。そうすれば、その分の供託金一人600万円(選挙区は300万円)と選挙活動費で、それぞれ合計5000万円以上を有力候補に重点配分でき、当選可能性を高められたでしょう。

 バラバラに分かれて戦っては、「一強」自民党に対抗できない。そのことを衆院選2012で学ばなければいけなかったのですが、活かされませんでした。「三本の矢」の訓話のとおり、各党で力を合わせてほしかったものです。今回、私がこの得票数ランキングを示した背景には、このことを多くの人に気づいてもらえたらという狙いもありました。

2.個人得票の多い人でも落選してしまう。
  そんな選挙制度はおかしいのではないか?
 私自身は「現在の参院選全国比例区の制度を変える必要はない」と思っています。

 第一に、衆議院の小選挙区制と違って、少数派の声も反映できる制度です。しかも、ブロックごとに分かれた衆院選の比例代表よりも、参院選の全国比例区は少数派にとってより有利です。「良識の府」に多様性を確保するにはいい制度です。

 第二に、政党・確認団体がなければ、完全に個人票だけになります。こうなると、有名人や組織がバックについた人しか当選できなくなりがちです。三宅さんのような例は、ごくまれと言っていいでしょう。有名人でもなくバックもないので、個人票はそれほど集められないいけれども、政党の看板で当選できる。そんな道もあっていいと思います。
 また、政党から出馬することで、政党という組織の中で揉まれ、認められた人という「品質保証」にもつながり、有名人が有名というだけで当選できてしまうケースを避けられる面もあります。まあ、日本の政党は、欧米のように党内の公開討論や予備選挙などをあまりしないので、本当に「品質保証」できているのかは別な話ですが。
 とにかく、参院全国比例区は、現在の国政選挙制度の中で最もネット選挙時代にも合っていますし、合理的な制度だと思います。

 もっとも、公職選挙法を改正して、「世界一高い」と言われる供託金を下げる必要はあると思います。また、欧米各国のように戸別訪問をOKにするなど、お金のかからない選挙・自由度の高い選挙ができるよう、抜本的な改正が必須だと考えています。

3.既得権団体がバックについた候補者ばかりが当選する。
  これは問題があるのではないか?
 私自身は、業界団体や労働組合、宗教団体から応援してもらうこと自体は、悪いことではないと思います。それぞれの団体の構成員もまた国民であり、それは、一人一人の国民から応援を受けることと「質」的には変わらないからです。

 ただし、「質」的には違わなくても、「量」的にはかなり違いがあります。多くの政治家は、どうしても人数が多くて声の大きい団体の声にばかり耳を傾けてしまいがちだからです。そして、一人一人の国民の声が届かなくなってしまう。だからこそ「政治家は、既得権団体の利益代表だ」と思われてしまうのでしょう。

 そこで以下、いささか理想論ではありますが、私がこうあるべきと思う姿について書きます。

●政治家について
 結局のところ、各種団体から応援を受けること自体の是非よりも、応援を受けた政治家がどんな振る舞いをするかが問題だと思います。
 応援してくれた人への互酬型(見返り型)の政治では、もちろんダメです。国会議員なら国民全体の代表、市議会議員なら市民全体の代表ですから、「応援してくれた人だけでなく、全体を考えて政治をしているか?」がポイントだと考えます。

●メディアについて
 ただし、それを国民に「把握して見抜いてください」と言うのは酷だと思います。かく言う私も、全ての候補者について「国民全体を考えている? 自分の団体のことばかり?」を把握するのはムリです。
 ここで重要なのが、メディアの役割だと思います。日頃から、利益代表として振る舞う議員を見抜いては、批判を加える。そんな、アメリカにおけるマイケル・ムーアの番組『Awful Truth』(ありえねーマジな話)みたいな、健全なジャーナリズムがあれば、国民も見抜けるはずです。
 とはいえ、最近の自民党に対するメディアの弱腰姿勢を見ていると、なんとも期待薄ですが……(苦笑)。

●各種団体について
 また、各種団体のほうも、「俺たちは議員生命の生殺与奪を握っているんだから、俺たちの言うことを聞け!」と、応援した議員を手足のように操るべきじゃない。「議員一人一人が、国民全体の代表であり、全体を考えて判断する人なのだ」という敬意を持つべきだし、逆にそういう人を送り出せた自分たちの団体に誇りを持ってほしいと思います。
 ただし「少数者である自分たちの声に積極的に耳を傾けてほしい」と願うのは当然だと思います。議員側にも少数者の声を国会に届ける責務があると思います。とはいえ、あくまで、国民全体への奉仕者としての議員の判断は尊重すべきでしょう。
 このことは、偉そうに書いていますが、実は自分を応援してくださった団体から学んだことです。実は前回の市議選で、私もある労働組合から推薦を頂きました。正直に言えば「特定の団体から応援頂くことで、いろいろと縛られるのではないか?」と、最初は迷いました。しかし、「応援はするが、見返りは求めない。私たちの悩みも知ったうえで市民全体の代表として仕事してほしい」という旨を最初に言われ、そのスタンスを貫いて下さっています。
 私のように支援者に恵まれる政治家は幸運だと思いますが、本来、個人個人が政治家を応援する場合でも、そうあってほしいと思います。なお、過去に何かトラブルがあったわけじゃなく、一般論としてお話しています(笑)。

 ちなみに、池上彰氏の選挙特番での発言で話題になったように、公明党の支持母体が創価学会であることはよく知られています。日本では、宗教団体が政治に関わることへのアレルギーが強いようですが、世界的には先進国・途上国を問わず一般的ですし、自分たちの価値観を政治に反映しようというのは、ある意味では自然な動機だと理解できます。
 むしろ、「見返り型政治」という意味では宗教団体より業界団体のほうが、かつては悪弊が大きかったように思います。そして、最近で言えば宗教団体よりも、偏狭なナショナリズムや各種の原理主義の弊害のほうに厳しい目を向けてほしいと思っています。


 以上、ご質問・ご意見頂いた問題意識に応える中で、自分の考えを整理しましたので、ご紹介します。
posted by 小林のぶゆき at 22:54| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月22日

「参院選2013得票数ランキング」から見えてくるもの〜最多得票落選者、三宅洋平の衝撃〜

rank2013.png 衆院選2012に続き、参院選2013も、私にとって残念な結果に終わりました。
 ところで、比例区の分析をしてみたら、面白いことが見えてきました。

 右の表は、朝日新聞の開票速報をもとに、比例区の得票数をランキングにしてみたものです。全体はコチラ →Excel →PDF

 ここから見えてくるものは、
●上位を独占する公明党は、組織的に個人名を徹底していて、党名投票の割合が低い。
●一方、特に維新の会とみんなの党は、党名投票の割合が高い。
●自民党で当選した人は、しっかり個人票もとって当選している。
●民主党は、個人名得票が上位の人ですらボロボロ落選している。つまり、党の力が弱かった。
●共産党、みんなの党、維新の会は、個人票は少ないが党の力で当選している人が多い。

 といったことです。が、そんな細かい話を全て吹き飛ばしてしまうほど衝撃的だったのが、三宅洋平氏の存在感でした。18万票近くとって落選。参院比例区の最多得票落選者です。48人の当選者のうち、下から23人より多くの票を得たわけです。
 得票の原動力となった三宅洋平氏の「選挙フェス」と題した演説ライヴ。これは、選挙・政治家業界に確実に新しい風を吹き込みました。田中角栄型辻立ちや、ネットワーク運動型素人選挙を上回るイノベーションだと思います。

 「単に、演説をライヴのMCのスタイルでやっただけだろ?」と思うと見誤ると思います。私は、アメリカの黒人教会の牧師のスタイルを彷彿とし、そして、その系譜を受け継ぐマーティン・ルーサー・キングJr牧師や、ソウルやファンクの大御所、例えばジェームス・ブラウン、パブリック・エネミーなどを思い浮かべました。つまり、単にスタイルとして取り入れた軽さや、ただの表現ではなく、必然の表現、魂の表出という印象です。
 ちなみに、ジェームス・ブラウンが黒人教会の牧師役をしている映画『The Blues Brothers』の1シーンもどうぞ(笑)


 こういうホンモノの言葉、言霊の力を見せつけられてしまうと、うわべばかりの言葉をしゃべっている政治家の出番は、どんどん無くなっていくでしょう。私自身も、コトバに手垢がついていなかったか、ハッとさせらると同時に、見ながら清々しい気持ちになりました。
yohei.JPG 住所地?である沖縄では、他の候補者を圧倒する数のポスターが貼られていたようですが(電柱や樹木など、だいぶやんちゃな場所に貼るのが沖縄流のようですが……苦笑)、票を稼いだのはポスターよりも、ネット選挙で可能になった「選挙フェス」の動画の拡散、それによって生の言葉が届いたからだったのではないでしょうか?

 今回は落選こそしたものの、日本政界に彗星のように現れ、鮮烈な印象を残した三宅洋平氏。今後、どんな活動をしていくのか、注目です。
posted by 小林のぶゆき at 23:20| Comment(7) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月17日

自民党の矛盾(3) 〜主義主張の旗〜

 過去記事「自民党の矛盾(2) 〜改憲問題(前編)〜」に続いて、自民党の矛盾について書く。

 自民党は、ご存じのとおり「自由民主党」の略だ。1955年に当時の自由党と日本民主党が合流してできた。その名の通り、自由主義(リベラリズム)と民主主義(デモクラシー)を重んじる政党だと理解している。

 このうち、自由主義とは「なんでもかんでも自由にして、政府は何もしないほうがいい」というような自由放任のことではない。ざっくり言うと、「誰もが自分で選ぶことができ、その責任も自分で引き受ける、そんな自由を持っている。だから、誰もが門地や出自、金持ちか貧乏かを問わず、頑張ったら報われるよう、同じようにチャンスがある社会にすべきだ」という考え方だと理解している。
 実際、自由民主党の特に「保守本流」の方々は、「均衡ある発展」を重視し積極的に再分配をしてきた。利益誘導的な側面もあったにせよ、基本的には、その名に違わぬ「健全なリベラリズムの政党」だったと思う。

 ところが、中曽根首相あたりから、社会的公正を重んじる自由主義(リベラル)ではなく、自由放任(レッセフェール)を良しとする新自由主義(ネオリベラル)に近づき始めた。その後、揺り戻しがあって、特にバブル前後には大規模な公共事業バラマキをする「大きな政府」へと逆戻りするが、再び小泉首相の時には新自由主義的「小さな政府」の傾向が鮮明になる。

 ところで、小泉構造改革時代は、新自由主義に振れ過ぎて弱者救済がおろそかになったとは思うが、その方向は一貫していた。しかし、現在の第2次安倍内閣では、新自由主義(ネオリベラル)的な「小さな政府」論と「大きな政府」論が併存して、なおかつ保守主義や国粋主義・復古主義の味付けもまぶしてあり、よくわからないことになっている。そして、もともとの自由主義は片隅に追いやられているように思われる。
 どういうことかといえば、TPPへの参加姿勢を持ちながら、「国家強靭化計画」に200兆円などと公共事業の増額を謳う。これでは、市場に任せる「小さな政府」路線なのか、政府が大きな予算と責任を持つ「大きな政府」路線なのか、よくわからない。また、公共事業への投資は増やしても、社会保障を増やす声は聞こえてこない。ざっくり言うと、中央から地方への公共事業系再分配には熱心かもしれないが、富める者から弱い者への社会保障系再分配には冷淡に見える。
 さらに、かねて「美しい国」「日本を、取り戻す」というフレーズを多用してきた安倍総理には国粋主義(ナショナリズム)や復古主義の傾向が見られる。しかし、その割には対米追従の姿勢が目立ち、アメリカ様の要求に基づくTPP参加や、日米関係の重視など、ホンモノの右翼的思想とは言えない。

 はっきり言って、一貫性が見られない。どんな主義主張の下に集っている党なのか、つかみどころがない。「ぬえ」のようである。
 ひょっとしたら、そうした主義主張がないのかもしれない。人気をとるために変幻自在に立ち位置を変える、大衆迎合主義や日和見主義を信奉しているのかもしれない。

 現在では、主義主張の旗がはっきりしているのは、みんなの党・共産党ぐらいではないか。
 日本維新の会は、水と油ほどにも違う橋下系と石原系が、挑発的国粋主義と大衆迎合主義という変な共通点だけでくっついてしまった。
 民主党は、2009年のときにはそれなりに旗が立っていたと思う。イギリスのブレア労働党が進めた「第三の道」のように、新自由主義の構造改革・効率性と、自由主義の再分配による社会的公正を、両立しようとしたはずだ。ところが、この方向性を理解できないままだったか、面従腹背だったのか、路線対立があらわになって分裂に分裂を重ね、現在も主義主張の旗の下に集っているようには見えない。
 社民党に至っては、欧州の社会民主主義が直面した行き詰まりにどう対処するのか見えてこないので、もはや小泉改革後の日本では迫力不足だ。

 願うらくは、前回、民主党が分裂を重ねたように、自民党にも分裂していただき、政界ガラガラポンをして、主義主張の旗の下に集まり直してほしいものだ。
 「参院選、どうやって選べばいいの?」と、国民の声が聞こえてきそうだ。


 なお、自由民主党が自由主義と民主主義を掲げた政党だと私が判断している理由としては、ぜひ結党時の「立党宣言」と「綱領」をご覧いただきたい。

自由民主党「立党宣言」昭和三十年十一月十五日
政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う。
大戦終熄して既に十年、世界の大勢は著しく相貌を変じ、原子科学の発達と共に、全人類の歴史は日々新しい頁を書き加えつつある。今日の政治は、少なくとも十年後の世界を目標に描いて、創造の努力を払い、過去及び現在の制度機構の中から健全なるものを生かし、古き無用なるものを除き、社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。
われら立党の政治理念は、第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある。従ってわれらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を社会秩序の基本的条件となす。故に、権力による専制と階級主義に反対する。
われらは、秩序の中に前進をもとめ、知性を磨き、進歩的諸政策を敢行し、文化的民主国家の諸制度を確立して、祖国再建の大業に邁進せんとするものである。
右宣言する。
自由民主党「綱領」昭和三十年十一月十五日
一、わが党は、民主主義の理念を基調として諸般の制度、機構を刷新改善し、文化的民主国家の完成を期する。
一、わが党は、平和と自由を希求する人類普遍の正義に立脚して、国際関係を是正し、調整し、自主独立の完成を期する。
一、わが党は、公共の福祉を規範とし、個人の創意と企業の自由を基底とする経済の総合計画を策定実施し、民生の安定と福祉国家の完成を期する。
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暑い夏、選挙とは別の「投票」を。

 参院選も夏も真っ盛り。熱くて暑い季節ですね。そして、私たちの一票を使って未来を選べる季節です。

 ところで、選挙の他にも「投票」できるのはご存知ですか?
 私たちは「買う」「働く」「貯金する」の3つの方法で未来を選ぶことができます。
 自分が「こんな社会になったらいいな」という方向に、近いことをしているお店やメーカーの商品を買う。そういうお店やメーカーで働く。あるいは投資する。逆に、人を大事にしない「ブラック企業」や、放射能をまき散らすような環境破壊企業からは、なるべく買わない。働かない。あるいはそういう会社にお金を貸しているような銀行には預けない。そんな方法もあります。
 商品市場・労働市場・資本市場、それぞれのマーケットにおける需要と供給のメカニズムを使って影響を与えることは、市場の中で生きている企業には死活問題なので、効果的です。
 そんな考え方については、以前、過去記事「私の貯金に働いてもらおう。」「私の貯金に働いてもらおう。その二」でもお伝えしてきました。


gp.png 今回は、NGOグリーンピースのキャンペーンが粋だったので、ご紹介します。
 夏本番を迎えて、エアコンや扇風機を買う方もいらっしゃると思います。ぜひ原発反対の方は、東芝・日立・三菱電機・三菱重工の商品は買わないようにしていただきたいと思います。原発メーカーだからです。僕は、もう10年以上避けてきました。もちろん、部品を供給しているメーカーはもっと多いわけですが、なかなか避けきれるものじゃないし、自分のところで直接作っている原子炉メーカーとは重みが違います。別に、東芝も日立も三菱もキライなわけじゃないので、原発から手を引いてくれれば買うわけで、意思表示をするのは消費者の自由です。

 というわけで、原発フリーの製品で、気持ちのいい夏を過ごしてみませんか? そして今回の参院選の結果、原発フリーの電気も選べるようにしたいですね。
posted by 小林のぶゆき at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月13日

自民党の矛盾(2) 〜改憲問題(前編)〜

 前回の記事「自民党の矛盾(1) 〜原発問題〜」に続いて、自民党の矛盾について書く。

 先日、新聞記事で20代の若者の声として「一票の格差問題すら、まともに解消できない国会に、憲法改正などを語る資格はあるのか?」といった声が掲載されていた。
 読んですぐ思ったのは、「一票の格差問題と、改憲問題とは別だろう」ということだった。しかし、よく考えてみると、意外と真理を突いた指摘のように思われてきた。


 第一に、政権の正統性の問題がある。
 2012年に選ばれた衆議院議員は、一票の格差問題を解消する前に選出された。一票の格差問題には、大きく2つの論点がある。
●格差2倍を越える衆院小選挙区では、「選挙無効」「違憲」「違憲状態」との判決が全国で相次いだ。
●「一人別枠方式」自体が、2011年3月の最高裁判決において「違憲」と判断された。 

 前者は、一票の格差が特に大きかった選挙区だけが対象となる。しかし、後者は、衆院全体の正統性が問われる問題だ。すなわち、「違憲」な方式を残したままの選挙で選ばれた人たちが、現在、衆議院の椅子に座っている。彼らに、正統性はあるのだろうか?
 そして、その人たちの過半を占める自民党とその補完勢力は、改憲を口にしている。もしも、「憲法に違反した状態で選ばれた人たちが、憲法を変える」とすればどうか? あまりに趣味の悪いブラック・ユーモアだ。これでは、北朝鮮を「独裁国家」と批判できまい。

 違憲状態の「選良」諸君は、改憲論議がしたいならば、選挙制度抜本改革をやり遂げてから衆議院を解散し、それから国民に信を問うべきだ。小学生が考えてもわかることだ。こういう当たり前のことすら我々の「代議士」たちに守らせられないとすれば、国民もずいぶんナメられたものだ。


 第二に、事の軽重の問題がある。
 自民党を中心とする現在の衆議院議員らは、「0増5減」の区割り法を成立させた。これは「一票の格差」が2倍以上の選挙区だけを解消しようとする弥縫策にすぎず、「一人別枠方式」を見直す抜本改革ではない。しかも、この姑息な小手先対応をしてもなお、次回2015年の国勢調査の際には再び2倍以上の選挙区が生まれてしまうと推測されている。

 つまり、現時点では彼らは選挙制度改革という、「どうやって選ぶか?」というだけの単なる手続き的な法律すら満足に変更する力を持たない。その彼らが、「憲法」という根本中の根本の法典を変えようなどというのは、「顔を洗って出直して来い!」という話だ。(失礼に聞こえたら申し訳ないが、つまり「選挙制度抜本改正してから、解散総選挙して出直してきてから、改憲論議してくださいな」ということである)。事の軽重を考えてほしい。


 以上。有権者各位、こんな今の自民党をどう思うか? (続く)
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2013年07月12日

自民党の矛盾(1) 〜原発問題〜

 私のおじいちゃんは、自民党の地方議員だった。議長までやった。
 そのことは大人になってから知ったが、それも私が政治に関心を持つきっかけになっていたのかもしれない。

 ところで、それもあって、私は自民党という政党に対して、最初から偏見を持って見ることはなかったつもりだ。
 むしろ、例えば小泉構造改革に対しても、弱者救済の手だてがあまりに手薄だったから大きな批判を浴びたものの、世界の経済構造の変化に対応した政策だったと考えている。
 また、民主党より早く事業仕分けを実施した自民党の、河野太郎代議士はじめとする「ムダボ」メンバーには惜しみない喝采を送ってきた。
 さらに、何と言っても、高度成長期に大きな貧富の格差も地方格差も生じさせずに日本を発展させた自民党は、偉かった。田中角栄氏の『日本列島改造論』に代表される、「均衡ある発展」のコンセプトは、環境面ではさておき、社会・経済の面では大成功だった。あまりに大成功だったので、高度成長が終わった後も同じ成功モデルを十年一日のごとく引きずり、変化に対応した新しいモデルを提示できずに続けてきたから、バブル前後の失敗があっただけの話だ。当時としては「政治的イノベーション」だったと言えるだろう。


 ところで、最近の自民党は、かつての自民党とは違ってしまったのではないだろうか? そして、あまりにも矛盾に満ちているのではないか?
 そのことを、いくつかの例で考えてみたい。

 第一回目は、原発問題だ。
 自民党は、前回2012年の衆院選の公約に「原子力に依存しなくても良い経済・社会構造の確立」と掲げた。全文は……
全てのエネルギーの可能性を徹底的に掘り起こし、社会・経済活動を維持するための電力を確実に確保するとともに、原子力に依存しなくても良い経済・社会構造の確立を目指します。
 ところが、衆院選後に自民党が原子力依存から脱しようという動きは、残念ながら寡聞にして知らない。むしろ、このところの動きをみると、原子力依存を自ら深めようとしているのではないか。

 一方、「参議院選挙公約2013」では、「原発の再稼働については、地元自治体の理解が得られるよう最大限の努力をいたします」と書いてある。全文は……
原子力発電所の安全性については、原子力規制委員会の専門的判断に委ねます。その上で、国が責任を持って、安全と判断された原発の再稼働については、地元自治体の理解が得られるよう最大限の努力をいたします。

 これを見る限り、衆院選2012の公約と参院選2013の公約には、大きな矛盾が生じているのではないか?

 参院選公約2013には、こうも書いている。
 「自民党は、『政権公約』を迅速かつ着実に実行しています。」
 ここに書かれている「政権公約」とは衆院選2012の公約のことだが、確かに、自民党が迅速かつ着実に実行しているものは多い。その内容の是非は置いても、民主党が公約を守らず公約にないことにばかり執心したことを、反面教師にしているのだろう。
 しかし、「原子力に依存しなくても良い経済・社会構造の確立」という政権公約に対して、何を「迅速かつ着実に実行」してくれたのだろうか? 逆に、原発再稼働に向け、かなり前のめりな姿勢に見えるのは気のせいだろうか?

 ちなみに、こうした自民党の「矛盾」、もっと言えば「変節」に対して、民主党政権時代にあれほど舌鋒鋭く「公約違反」と指弾してきたメディアの対応はどうか? 「アベノミクス」なる、美しくない日本語をお先棒担ぎで氾濫させるばかりで、自民党の「公約すり替え」を指摘する報道は、これまた私は寡聞にして知らない。

 有権者各位、こんな今の自民党をどう思うか? (続く)
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2013年07月11日

議会と市長は「車の両輪」なのか?

 よく、議会と市長との関係を「車の両輪」に例える人がいる。これは、市長にばかり注目が集まり埋もれがちな議会を、奮い立たせる意味でよく使われるように思う。「二元代表制」という言葉もまた、「どちらも代表なのだから、議会はその権限を活かしてしっかり仕事をしていこう」という文脈で使われがちな言葉だ。

 ところで、「市長も議会も、どちらも住民代表」というのは確かに間違いないが、果たしてそれは並列に並んでいるのか? 同じタイヤなのだろうか?
 いや。私は違うと思う。
 どうも「二元代表制」「車の両輪」「機関対立主義」という言葉は、市長と議会の不毛でムダな対立を生みがちな言葉たちのように思えてならない。現在は、議会が自らの役割を果たせず、埋没しているから、虚勢を張ってそんな言葉を使っているだけかもしれない。

 本来の姿を自転車操縦に例えるならば、
●議会は、ハンドルとブレーキ(監督/議決権)
●市長は、ペダルとギア(執行/予算編成権・執行権)
という役割分担になるはずだ。「車の両輪」を回すのは、あくまで市長以下の職員たちだ。回すのに際して、どのくらいペダルを回すか、苦しい坂を登るときにどのくらいのギアで登るか、というあたりは市長が采配するわけだ。しかし、この自転車がどこへ向かうかを指し示すのは、本来、合議体の住民代表である議会のハズである。そして、急に障害物が出てきたり、道を間違っていることに気付いたりしたとき、あるいは体に無理がたたってきたときに、ブレーキをかけるのも議会の役割だ。

 こういう本来の役割を自覚しないまま、「車の両輪」などと言って、自ら自転車のタイヤに成り果てようとしているあたりにも、議会の迷走の原因があるように思う。
 「舵取り」をしているのは自分たち、という自覚がないからこそ、過去に議決したことを市長がやろうとしたときに、平気で自分たちの総括や反省もせずに市長を批判したりする。ハンドルを握っている、という自覚がないからこそ、市長に対して情けない予算「要望」をしたり、市長提案の議案に対して個別にあれこれ言うばかりで、「議会の意思」を示そうとしなかったりする。
 そうではないか?

 なお、上記は横須賀市議会のことを指しているのではなく、地方議会の一般論として書いていることを補足する。
posted by 小林のぶゆき at 12:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする